輝かしい時代だと言われる10代をふり返ってみれば、私の過去なんてクレーターみたいだった。8歳から五月雨通学になったせいで親との確執が起こり、13歳からは社会的ひきこもりの生活でほぼ3年間同世代と話さなかった。感受性が養われるのであろう子ども時代に、私は「ふつう」の暮らしぶりができなかった。
教育上のマイノリティになったきっかけに、はっきりした原因や主義はない。学校という例の場所へ行こうとすると体が停止して、行かねばならないと思う意志とのあいだで幻肢痛じみた痛苦が襲う。そんな朝が上書きされていた。10代半ばのほとんどの時間が自宅でのゲームかテレビかに変わり、 何年もくり返された夕焼けがさみしかった。
10代の日々は心をすり減らし
一人すごした10代の日々は見た目上、ていたらくっぽいが、それはひどく心をすり減らす歳月だった。精神的にはまったく穏やかじゃなく、社会から押しよせるプレッシャーの激流が渦巻いていた。「良イ子デイロ・学校ヘ行ケ・男ラシクアレ・労働ヲセヨ」など、「どうすべきか」を教えるいくつもの流れ。その急流のなかにあって、同じ所に立ち続けているためには激しい労力がいる。体をこわばらせて足を踏みしめているみたいに、たとえ1年間1歩も部屋から出なくったって、動かないっていうのはおそろしく体力を消耗させた。
今、28歳になってようやくそのころが思い出話になろうとしている。けど高い山を乗り越えてきたみたいな達成感は全然ない。
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