今回、お話をうかがったのは教育学者の大田尭さん。大田さんには、子ども・若者が置かれている状況について、教育基本法「改正」問題についてなどをうかがった。大田さんは「本来の生命のあり方とは」という視点から、ちがいを受けいれ合う関係、基本的人権の重要性を語られた。
――子どもや若者が置かれた状況をどう見られていますか?
子どもは学校や家庭という、「選ばされた場所」で生活を送っています。若者になると、すこしは居場所の選択の幅も出てきますが、どこを選ぶかは、きっと「孤独な選択」をしたのだろうと思うんです。
昔は共同体というものがありました。共同体は「国家が考えた社会」ではなく「地域で考えた社会」という特徴を持っています。地縁や血縁で長い年月をかけて相互保障、社会保障の仕組みを考え出していました。その一方で、おたがいの「密度」が非常に濃くなり、慣習などに縛られた、という側面があります。
この共同体が、ある意味、歴史的な必然のなかで崩壊しました。それ自体はいいことだと思うのですが、バラバラのままになってしまったんですね。人間は、生き物や人間との関わりのなかで自分というものを見いだしています。また、他者との関わりのなかで選択をしていくというのが、人間らしいやり方です。しかし、バラバラのままだと、どうしても自分本位の選択をせざるを得ません。そういう選択は、人間の本質から考えて、おかしいことなんです。若い人たちもそういう状況のなかで、どんな人生を選ぼうか、という自問をくり返していると思います。ただ、孤独ななかでは自分が見えずらく、苦しい状況でしょうね。。しかもこの苦しさは、原因がわかりづらい。言い換えるなら、「目当てのない欲求不満」というか、動機のわからない不満がたまっているという状態だと思います。それはなにも若い人だけでなく、大人もそうでしょう。
――共同体が崩壊したことでどんなマイナスがあったのでしょうか
共同体を崩壊させたのは「マネー経済」です。経済成長のなかで、人間関係は「お金を媒介にして」という関係に変化し、直接的な関わりが希薄になってしまいました。典型的なのが「広告」です。共同体のなかの情報発信は、相手の顔が見える状態でのやりとりでしたが、広告は不特定多数の人が対象です。広告の目的は「欲望開発」ですから、多くの人が広告に煽られて欲望が肥大していく。そうなると、自己中心的になってしまうんです。自己中心的になると、他者との関わりが薄くなり、無関心を生むわけです。それは非常に問題で「病」と言っていいかもしれません。
教基法に対案を
――教育基本法「改正」をどう思われますか?
教基法「反対」の人には「我々はどうなってしまうのか」という危機感があり、そこが論点にもなっていますよね。しかし、いま「我々はどうするんだ」という議論こそ必要なんだと感じています。
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