不登校新聞

427号 2016/2/1

【公開】小説「少年と午前二時」 天埜裕文 vol.6

2016年02月12日 12:24 by kito-shin
2016年02月12日 12:24 by kito-shin

連載「少年と午前二時」第1話へ(全話無料)


 原田さんを見つけ、とっさに反転した。このまま来た道を引き返していけば、電話をしていたあの女がまた現れるだろう。さっきの無礼を、きっとまた責めてくるはずだ。
 
 それなら原田さんの横を通りすぎたほうがまだましかもしれない。だいたい、なぜ僕は原田さんから逃げようとしたのか。原田さんとは2学期でとなりの席だったけれど、一言も話したことはなかった。一言も話したことがないから逃げようとしたのだろうか。それは関係ないはずだ。理由として、おかしい。絶対に、理由にはならない。
 
 そもそも、自販機の前で財布のなかの小銭を探していた人間は原田さんだったのか?
 
 不自然すぎる。中学生の女の子が深夜2時過ぎに自販機で飲みものを買っているなんて。
 
 あれは原田さんではない。あれは原田さんではない。あれは原田さんではない。
 
 もう一度、反転した。でも、もし、原田さんだったとしたら?
「ちがう……ミルクチョコレートじゃない……ビターチョコレート……」
 
 わずかに、後ろから女の声が聞こえてくる。前にも、後ろにも、行く事ができない。立ち尽くして、暗がりで揺れる街路樹の葉を見つめる。そうか、今日は風が吹いていたのか。煙草を吸いながら苦いチョコレートをかじるさっきの女の顔が、揺れる葉に重なってぼんやり見える。
 
 このままここで5分数えよう。5分あれば、財布の中の小銭を見つけるのに十分だろう。自販機での買い物くらい、余裕をもって終えられるはずだ。
 
「ビターチョコレート……、ついでにホワイトチョコレートも……」
 
 街路樹を見るのにも疲れて目を地面に落とす。赤い点が、僕の周りに浮かんでる。スプレーを地面に向けて、また一つ赤い点を増やす。煙草の吸殻が点と点の間で、ひしゃげている。マルボロだ。白は夜によく目立つ。もう一つ煙草の吸殻を見つけた。あれもマルボロだろうか。
 
 近寄ってみると、それはマルボロでもなく、白でもなく、黄色だった。
 
 赤い点の中に、黄色い点が混じっている。よく見れば、黄色い点は一つではない。前にも後ろにも、続いている。
 
 しゃがみ込み、目を近づけた。色が違うだけで、着色の仕方が赤い点とそっくりだ。これもカラースプレーで噴射されたものなのだろうか。
 
 立ち上がり、黄色い点を辿る。おびただしい赤い点の中に、申し訳なさそうに黄色い点は現れる。目を凝らしていなければ見逃してしまいそうだ。
 
 気づけば、自販機を過ぎていた。振り返ると、自販機の前には誰もいなかった。ぼんやり、鈍い光が深夜の通学路を照らしているだけだった。
 
 黄色い点は途切れることなく続いている。もうないか、そう思ったころ、ひょっこりと姿を見せる。このまま辿っていけば僕はどこまで行くことになるのかと考えたけれど、杞憂だった。黄色い点は、中学校の校門の前で途切れた。
「あれ、あんた、さっきのやつだよね?」
 
 後ろから声をかけられたのと、肩を叩かれたのは同時だった。電柱の陰で電話していた女が、目の前で微笑んでいた。ちがいます、と僕は答えた。
 
「嘘つくなよ」
 
「嘘じゃありません」
 
「あたし覚えてるもん。だって数分前じゃん。さっき会ったばっかりじゃん」
 
「知りません。ごめんなさい。本当にちがいます」
 
「こんな時間に何やってんの? まだ中学生くらいでしょ? 手に持ってんの何? スプレー? あれ、もしかしてこの赤と黄色のやつってあんたがやったの?」
 
 全速力で駆けだした。走れるだけ走った。何度も振り返った。女が見えない事を何度も確かめた。赤と黄色の点の上を、信じられない速度で僕は走った。(つづく)

連載「少年と午前二時」第7話へ(全話無料)


■著者プロフィール(あまの・ひろふみ)1986年生まれ、作家。小学2年生より不登校。2008年、第32回すばる文学賞を受賞。

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