不登校新聞

301号(2010.11.1)

【公開】メンヘル時代の居場所論 序

2014年01月24日 10:36 by kito-shin
2014年01月24日 10:36 by kito-shin

連載を始めるにあたって




大きく揺らぎ迷うなかで

 
 メルヘンではない。メンヘルな時代。メンタルヘルスの略語だ。しかし、そもそも〈メンタル=心〉の〈ヘルス=健康〉ってどういうことだろう? 自分の心が健康かどうかなんて、少し前まで、おおかたの人は考えないですんでいたんじゃないだろうか。何かキツいことがあったり、落ち込むことがあっても、それは医療や心理の問題ではなかった。心の健康を医療的に判断するなんて、それ自体が病んでいるような気がする。しかし、いまや多くの人が自分の心に不安を持っている。社会が心理主義化しているなんてことも、ずいぶん前から言われている。何かあると、すぐにPTSDだ、心のケアだと、心理学用語が飛びかう。"メンヘラ”(精神医療にかかっている人のこと)という言葉もよく聞くようになった。それだけ、精神医療にかかる人は増えた。「うつは心のカゼ」なんて言うように、よくも悪くも、精神医療の敷居は低くなった。そして、医療的なまなざしに、誰もがさらされるようになった。
 
 しかし、専門家に頼れば頼るほど、日常の関係は細っていき、不安は肥大する。だから、よけいに医療や心理の専門家が必要になってしまう。そういう悪循環がある。だから、何かキツいことがあっても、すぐに医者やカウンセラーに頼るのではなく、信頼しあえる横の関係、おたがいさまの関係をつむいでいくことが必要だ。そう思ってきた。その思いに変わりはない。フリースクールやフリースペース、親の会なんかは、専門家に判断してもらう問題だった不登校を、当事者が集まり、話し合い、おたがいさまの関係の場のなかで考え合っていくものとして、自分たちの手に〈問い〉を取り戻す場として成り立ってきたはずだ。
 
 しかし、それにしても……その信念が大きく揺らがざるを得ないような事態に直面することが増えた。私自身、フリースクールなどに関わるようになって、15年以上はたつが、年々、キツさは増しているように感じる。最近は、おもに若者の居場所に関わっているが、若者の不安も底なしに深い。

関係が壊てしまう

 
 人が集まれば、かならずゴチャゴチャするものだろう。問題の起きない集団は、逆にこわい。問題が起きたら、話し合うなり折り合いをつけるなりして、そのつど調整していくものだと思う。しかし、そういう話し合いとか調整とかいうことが、すごく難しくなっているように感じる。
 
 たとえば、不満なことや傷つくことがあっても、なかなか相手には言えない。言わなくても気持ちの整理がつくのならいいが、燃焼されないガスがたまってしまって、結局は、相手を「敵」にしてしまうことで、ようやく言える。あるいは本人には言わず、ネット上に不満をぶちまけてしまったり、対面のときは穏和なのにメールで激しい内容が送られてきたり……でも、そうなると攻撃的になってしまうし、関係は破綻してしまう。そういうことが増えているように感じる。実際、私自身のかぎられた経験だけではなく、子どもの居場所、若者の居場所、親の会など、年齢を問わず、あちこちからそういう話を聞く。
 
 いろんな背景から、きつい状況を生きてきて、居場所を必要としている人にかぎって、その居場所やそこにいる人を攻撃してしまい、関係を破綻させてしまう。その攻撃の程度が、あまりにきつい。ときに、場そのものが壊れてしまうのではないかと思うほど。あるいは、関わっているスタッフなどが深く傷つき、まいってしまう。関係が壊れてしまうのだ。

人格の障害?


 そういう場合、本人が医療機関にかかると「人格障害」「境界例」といった診断名がついたりする。安易に診断名で人を排除したくない。第一、「人格の障害」って何のことだと素朴に疑問に思う。しかし、日常の関係世界からは了解しえないほどの激しい攻撃性があるとき、私たちは、それをどう考えたらいいのだろう。
 
 それでも、まだ攻撃の矛先が関係に向けられているのならばいい。矛先が自分自身に向かったとき、それはリストカットやオーバードーズといった自傷行為になるのだろう。その程度が、やはり自分自身を壊してしまうほど激しいことがある。ときにそれは、取り返しのつかないことになる。
 
 その人を排除するのではなく了解するために、医療的な見方が役に立つこともあるだろうか? あるいは、関係を切るためではなく維持するために、医療が役に立つことはあるだろうか?
 
 いずれにしても、大きく揺らぎ、自信を失い、迷うことが増えた。そして、そういうことは言葉に出しづらい。でも、だからこそ、臆せず問いを出し合い、共有し、ともに考えていくことが必要なんだと思う。そういう思いから、この連載を企画した。題して「メンヘル時代の居場所論」。居場所関係者、医療関係者、当事者など、さまざまな方にインタビューするなかで、読者とともに考え合っていきたい。ぜひ、ご意見をお寄せいただければと願っている。今回は、なぜ連載を始めたかったのか、まずは自分の思いを書いたほうがいいだろうと思い、紙面をいただいた。次号からは、NPO法人たまりばの西野博之さんのインタビューを掲載する。
(大阪通信局・山下耕平)

関連記事

第18回 寝屋川教師刺殺事件【下】

232号(2007.12.15)

最終回 家庭内暴力とは何か【下】

232号(2007.12.15)

第232回 不登校と医療

232号(2007.12.15)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

625号 2024/5/1

「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…