精神科医であり作家のなだいなださんが亡くなっていたことが6月8日にわかった。『不登校新聞』では追悼の意を込め03年9月に掲載したなださんのインタビュー記事を掲載する。

――ご自身と比べて現在の子どもがおかれる状況をどう見ていますか?
僕が小学校のときはまったくの戦争中でした。親や教師が強い権威を持っていて、子どもは逆らえず、同じように親や教師も国の命令にはまったく逆らえませんでした。世の中全体が上から下に命令するだけの時代でした。

もちろん、子どもながらにも疑問に思うことはありました。たとえば、天皇は神だと教えられましたが「天皇だって食べてウンコもするだろうし、同じ人間でしょ?」と質問しました。しかし教師には「よけいなことを聞くな」とねじ伏せられただけで、田舎に行けば、そういう質問をするだけでビンタをくらうこともあるような、とても不自由な時代でした。

以前に比べれば、現代は自由になったと言えます。しかし、すべてが自由かと言えば、そうでもない。ほんとうに自由であれば、何の障害もなく学校に行かないことを選べるはずです。ところが、現実には学校だけで人間がはかられています。僕は74歳になって「役に立った」と思えるのは小学生の勉強までです。今は小さいころから高学歴を望まれ、覚えの量が多いか、少ないかを競わされます。自分の考えに沿って生きようと思っても、自分で切りひらかなければいけません。昔に比べれば自由ですが、もっと時間のある子ども時代が必要です。

――文科省の不登校政策についてどう思われますか?
不登校13万人は、それぞれちがうはずです。しかし、文科省はマニュアルを出し、指示をすれば、本人が望むべき方向に行くと思っている。これは医者であれば、同じ病気を持つ患者10人に対して、1人だけ診察して同じ薬を出すことといっしょです。一人ひとりを診て、処方を変えていくのが、臨床士なら当たり前のことです。それが文科省の常識にならず、自分たちの認識が浅いととらえる人がいないのは、寂しいことです。

――大人に求められることは何でしょうか?
大人は自分の子ども時代を思い出してほしいです。子ども時代の親、教師、まわりの人たちがどうしていたのか。きっと、よかったことも悪かったこともあったでしょう。その体験から、何が大切かを学ぶしかありません。

人と関わるとき、成功だらけにはなりません。僕も「失敗したなあ」と思う診療があります。でも、失敗だと思えるのだから、以前よりはよくなっているのでしょう。失敗せずにやろうとすることはあまり意味がありません。大事なのは、関わる責任を背負う覚悟です。大人に求められるのは、覚悟を決めて子どもと関わり、自立を手助けすることです。

――自立するとは何を指すのでしょうか?
完全に自立をした人は少ないと思います。戦争中ならば、国から「自立」しようと思ったら捕まっていたでしょう。今の時代でも、自立しようと思えば抑圧がかかると思います。さらに誰もが一人で生きていくことはできません。本当の自立はとても難しいことです。しかし、自立を目指すことはできます。

僕は多くのアルコール依存症を持つ人を診てきました。ほとんどの人が、病院に来ると「もうお酒は飲まない、誰にも迷惑をかけない」という自立を心に誓っていました。でも、ふとした拍子に自分の意志に反して、お酒を飲んでつぶれてしまう。どうすればいいのか? 同じ病気を持った人といっしょに支え合っていくと、いい結果が出てきました。周囲に寄りかかれる人がいることで余裕が生まれます。自分が寄りかかられた場合も、世話をしながら、自分の役割にやりがいを感じられる。世話をすることは、たんなる労力の消費ではありません。自分の役割を見つけることが、心の支えにもなります。

せっかく余裕が生まれても、「ふつう」になることを自立の目標にすると苦しんでしまいます。アルコール依存症の場合、ふつうの人と同じように飲めば、症状が出てしまう。それにも関わらず、ふつうになろうとあくせく努力をして、失敗して思い悩んだ末に、症状をぶり返していく。そういう患者さんを何度も見てきました。

治せない病気はあります。心の病気の多くは、付き合っていくしかないのです。治らない病気を持つ人と関わるのだから、僕も一生涯付き合っていこう思っています。

自立を目指すとき、心の認識を変えることが必要です。ふつうになることだけが幸せとはかぎりません。人に迷惑をかけないことだけが、自立することでもありません。まわりと支え合いながら、自立を歩みはじめることが大切です。

以前、事故で脳を損傷した赤ん坊がいました。親は医者に「一生涯、障害を背負う」と告知され、半狂乱になるほど悲しんでいました。その子のおばあさんも悲しみ「お百度参りをする」と言い出した。絶望的な気持ちの親たちを前にして、赤ん坊が笑ったんです。笑っている赤ん坊を見て、親もおばあさんもなぐさめられた。「こんなにかわいい笑顔に支えられるのだから、私たちもこの子を支えていこう」と。

重い病気を持つと本人もまわりの人も多くを背負うことになります。背負う人たちに対して、社会はけっして優しくない。すべてを一人で背負い込むのはとても難しい。それでも、赤ん坊の笑顔に気づけるなら、支え合いながらやっていけると思っています。

――精神薬についてはどう思われていますか?
精神薬は病気を治すというより、医者が患者と話しやすくしたり、患者を管理しやすい状態にするものです。医者が管理しやすい状態を「よくなった」と本人やまわりの人も思いますが、心の問題は何も解決していません。

しかし、まわりから責めたてられ、本人の不安が強いと、自分の心を見つめたり、病気を解決しようと思ったりすることができません。極端な不安を避け、一時的に接触できるようにするのが、精神薬です。医者が相手と人間関係を使っていく、テクニックの一つです。本来ならば、本人やまわりのようすを全体的に把握できる人が使用するべきものです。

――自傷行為については、どのように考えれば?
病気は簡単に治りませんから、自傷行為は続くものだと思います。自傷が深刻にならないためには、本人が心の余裕を持ち、信頼できる話し相手を見つけることです。ですから、まわりの人は、その人からよく話を聞くことです。ただし、どんなに小さい子も、その人を見定めようとします。親であっても信頼される話し相手になるには、時間が必要です。

何か好きなことにのめり込めると、心に余裕が生まれます。ある患者さんは、短歌をやりはじめました。何度も自殺未遂をして、強い自傷行為をしてきた人です。自分の症状や自傷を短歌で詠んで、気持ちを落ち着かせるのです。

リストカットをしながら、リストカットの詩を詠み続けてもいいと思います。そのほうが、精神病院に閉じこめられて、退院しても一人で思い悩む生活よりよほどいい。まわりの人は「リストカットをさせまい」と考える。でも、その人が人生をふり返ったとき「どんな感想を述べるだろうか」と考えてほしい。自分の人生をふり返ったとき、リストカットや自傷をしたことは、そんなに重要なことではありません。

――ありがとうございました(聞き手・石井志昂/この記事は2003年9月に不登校新聞に掲載されたものです)