~メンヘル時代の居場所論~
子どもの"ある”が崩れている
前号に引き続き、評論家の芹沢俊介さんへのインタビューを掲載する。
――なぜ、このような状況になったと?
要因は二つあると思います。ひとつは教育的なまなざしですね。これには、いろんな意味での教育を含みます。"する・できる”のまなざしと言ってもいいです。居場所について言えば、文科省が民間に対抗するように設置してきた適応指導教室や、不登校をマーケットとした塾産業が、親御さんたちの手づくりの居場所を追いつめてきたということもあるでしょう。子どもに即して言えば、子どもの居場所を求めるニードが、そういうところへ押しやられてきたとも言える。子どもたちは、教育的なまなざしからの撤退を求めていたのに、その居場所にも教育的なまなざしが入り込んできているとも言えるでしょうね。
もう一つには、個人化の問題です。親御さんが自分自身を優先するようになってきて、子どもへのまなざしを早くから外してしまっているように思います。そのタイミングが早すぎるように思えて仕方ありません。まだ子どもは求めているのに、親御さんが先にまなざしを外してしまう。そして、その受けとめられ欲求が充分に充足されないまま、子どもはいろんな"する・できる”の場所に追いやられている。
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