今回は、小暮芳信さんにお話をうかがった。小暮さんは、不登校経験者でもあるが、幼少期からの虐待をはじめ、さまざまな被害過去を持つ。やがては、自身が犯罪行為で刑務所に収監されるが、そこで懲役だけではなく、TC(治療共同体)プログラムに出会うことで更生した。暴力の再生産を止めるための具体的な智恵がここにはあると、お話をうかがいながら感じた。

――まずは、生い立ちからうかがいたいのですが。
 私は生まれてまもなく、両親に捨てられたんです。生後9カ月のとき、まず母が家を出て、父も追いかけるように私を置いて出て行ってしまいました。そこに、たまたま叔父が訪ねてきてくれて、助かった。その後、父は戻ってきましたが、働きもせず、叔父の家に居候していました。
 
 父からは性的虐待もありました。当時は虐待だという認識はありませんでしたが、いま思えば、一度捨てられた記憶があるので、再びそうならないために受けいれていたんだろうと思います。でも、虐待の記憶は封印してしまっていました。それを思い出したのは、のちに刑務所に入って、自分をふり返るようになってからです。
 4歳のとき、児童相談所に保護され、里親に預けられることになりました。ある日、見知らぬ人たちが来て、車で見知らぬ建物に連れていかれた記憶は鮮明に残ってます。

――里親との関係は?
 僕のなかでは最高の両親です。すごく愛してもらいました。でも、私が11歳のとき、脳溢血で里親の父が倒れてしまうんですね。そのために、私は養護施設に移されることになりました。しかも、それが突然のことで、ある日、学校で校長室に呼び出されると、先生から「今日、あなたは里親さんの家には帰れません。このまま児童相談所に行ってもらいます」と言われて、そのまま連れていかれました。校長室を出たとき、友だちが「芳信くん、また明日ね」と声をかけてくれたんですが、さよならを言うこともできず、「う、うん、またね」としか言えなかった。

――突然、日常が壊れてしまうというのは、ショックですよね……。それまでの学校での友だち関係はどうだったんでしょう?
 小3くらいまで、いじめられていました。学校に行けば自分が全否定される。それが耐えがたくて、不登校になりました。学校に行かず、木にのぼって青空を見ていたりするのが好きでした。一方では、犬を蹴ったり殴ったりしていて、いま思えば、そういうことでストレス解消をはかっていたのかなと思います。でも、養護施設に移されて転校したとき、クラスのみんなで書いた手紙を届けてくれたんですね。そのなかのひとりが「俺は泣かない。だから芳信くんも泣かないでほしい。俺たちが泣くのは再会したときの喜びの涙だ」と書いてくれたんです。それまでの1週間、泣き続けてたんですが、その言葉を見た瞬間、涙がピタっと止まった。いじめられていた自分が、みんなの心の中にある存在になれていたことは、すごくうれしかったです。

――養護施設では?
 毎日、いじめられていました。子どもからのいじめも、職員からの体罰もひどかった。なかには、警察に助けを求めに行ったり、夜中に脱走する子もいました。私の居場所は、部屋の押し入れの中だけでした。
 
 そんななか、ホモセクシュアル的な行動をするようになりました。それも、父親からの虐待のときと同じで、自分を受けいれてもらうための行動だったと、いまになって思います。理解してくれなくてもいいから、自分を必要としてくれる人間がほしかった。


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