「不登校と精神医療」は長く議論されてきた問題の一つ。過剰医療や本人の意向を無視した入院などの問題は今も根強くある一方、精神医療を必要とする当事者も多い。精神科医・高岡健さんは「当事者からの視点」をベースに医療のあり方を考えたいと、座談会を企画した。なお、本企画は雑誌『精神医療』(批評社)と本紙のコラボ企画。本紙では抄録を掲載するが、座談会のロングバージョンが7月に発行される『精神医療』83号に掲載される。

児童精神科医・高岡健さん(以下・高岡)
 私は1979年に医師になり、現在は0歳~18歳未満の診療を行なっています。私たちが診察時間で聞けるお話は、その人の全体状況から言えば1割~2割程度ではないかと思っています。それは遠慮からなのか、信頼されていないからなのかわかりません。もちろん私たちとしては全体のことを想像したいと思っています。そのうえで、なかなか聞きたくても当事者に聞けない点があります。それは「医療の位置づけ」です。生活のなかで医療を利用している時間はごく一部だと思います。みなさんにとってその時間は、どんな意味があるのでしょうか。たいしたことがないのか、それとも時間は短いけれども影響が大きいものなのか、いかがでしょうか。

 君島光(仮名/25歳/以下・君島) 私にとって医療は「わりと大事」です。2週間に1度、主治医と20分程度の話をする時間は大事な時間です。また苦しすぎるときには病院が避難所にもなっています。現在は精神薬を処方されているわけではなく、漢方薬をもらっているだけなんですが、その位置づけは変わりません。ただしそれは「いま現在」という留保付きです。最初の医師は、ほんとうにひどい人でした。

自傷行為、不眠の背景には


 私が精神医療に関わり始めたのは14歳のときです。私の自傷行為や不眠を心配した母が医療機関に連れて行ったのがきっかけでした。ただし自傷や不眠が始まったのは母との関係が原因です。私の母と父は仲が悪く、母のストレスのはけ口が私に向かっていたように思います。最初は父へのグチを私に聞かせることから始まり、話を聞かなければ怒鳴られるようになりました。その後、3~4歳ぐらいでもご飯の後片付けをしないと怒鳴られるようになり、だんだんと「卑怯者」とか「あなたのせいでみんなが困っている」など人格を否定されるような暴言を言われるようになりました。母の具合が悪いと家具を壊したり、寝込んで料理をしなかったりということも続くようになりました。こうしたことが重なり、自傷や不眠が現れるようになったんだと自分では思っています。

度重なる治療も改善されず…


高岡 その母が病院へ連れて行ったことをどう思いましたか?


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