今回のインタビューは、安齋肇さん。イラストレーターとして活動するかたわら、精力的に音楽活動も行なっている。また、民放のテレビ番組では「ソラミミスト」としてMCを務めるなど、幅広い活動を行なっている。今回は、10代のときのお話や「働く」といったテーマを軸に、不登校や生き方のコツなどについて、うかがった。

――安齋さんの子ども時代を教えて下さい。
 小児喘息があって、10歳ぐらいまでは家にいることが多かったんだ。たまに友だちと遊んでいても、盛り上がってくるとかならず喘息が出てしまう。「いつも最後まで楽しめない」という気持ちでずうっといたんだよね。

 10代になって、喘息はおさまったんだけど、すぐさま卒業に受験でしょ。友だちともなかなか遊べなくなってしまって。だからかな、10代の後半はめちゃめちゃ暗かったなぁ。

――私は不登校をして家にこもっているとき、心が老けていくような感覚をいつも感じていました。
 あー、その感覚、なんとなくわかる。ぼくは不登校ではなかったけれど、学校の勉強が苦手でさ。授業がわからないから、先生に指されるのがイヤでたまらなかった。いざ指されると、恥ずかしさと緊張で顔が真っ赤になっちゃうんだ。タコみたいに赤面してるからって「タコザイ」っていうあだ名までついちゃった(笑)。

 高校に入ってからは、家でラジオばかり聞いてたんだ。1階からは母親と妹の楽しそうな会話が聞こえてくるのに、自分はひとりラジオばかり聞いて一日が終わっていく。「あぁ、ぼくはこのまんま年取って死んでいくんだろうな~」って、すごい孤独感を感じてた。
 だから「なにかしなきゃいけない」って思ってさ。好きだった女の子に手紙を書いたんだ。ラブレターだよね。便せんで50枚くらい(笑)。さすがにそれだけ枚数があると封筒に入りきらないから前編と後編にわけて送ったんだ。

 自分ではナイスアイディアだと思ったんだけど、数日してから料金不足で前編が戻ってきちゃったんだよね。「あぁ、明日になれば後編も戻ってくるんだ~」と思ったら恥ずかしくてしかたなかったなぁ。



――高校を卒業したあとはどうでしたか?

 コレといってとくにやりたいことがなかったんだ。たまたま絵が描けたから、美大をいくつか受けたんだけど、落ちて落ちて落ちまくった。それから1浪してデザインの専門学校に入ったんだけど、卒業してからも就職する気にまったくなれなかった。自分が「働く」ということにイメージが持てなかったんだよね。フラフラしてたらある人に誘われてデザイン会社を立ちあげたんだけど、その人が呑気な人でさ。仕事がまったくないのに、彼女と愛犬の散歩にしょっちゅう出かけちゃうんだよ。

 さすがにこのままじゃダメだと気づいて。当時つきあってた彼女のススメもあって、本の装丁や広告をデザインしている会社の面接を受けてみたんだ、ダメもとでね。
 ところが、受かっちゃってさ。それから本格的にいろいろなデザインをやるようになったんだ。

 いろんな人と関わりながらかたちにしていくっていう仕事がだんだん楽しくなってきて。そのときの高揚感のようなものが、いまもイラストレーターを続けているモチベーションにつながっているんじゃないかって思う。だから、いまふり返ってみても、10代と20代ではまったくちがった生活だったよ。

――イラストレーターとい仕事はミュージシャン同様、安定的ではないイメージがあるのですが?


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