1966年、学校基本調査によって「不登校」の児童生徒数が発表された。今秋、50回目の発表がされる。「不登校50年」にあたる今年、本紙では「不登校50年証言プロジェクト」を2016年8月15日より開始する(次号にて詳細告知)。それに先立ち、10代と50代の不登校経験者の対談を企画した。

石井志昂(34歳/以下・石井) それではお二方にお話を聞きたいと思いますが、そもそも、お二方が不登校をした時代は、まったく状況がちがいますね。

杉本賢治(54歳/以下・杉本) さきほど本橋さんに聞いたら、ネット動画をWEB上で知り合った人たちとつくっているそうなんです。まったく想像もできないですし年の差を強く感じました(笑)。



■プロフィール(すぎもと・けんじ)
1961年、札幌市生まれ。高校で不登校中退。中退後と20代後半に長期間、ひきこもった。現在はフリーターのかたわら、「ひきこもる心のケア」(世界思想社)を出版するなどインタビュアーとしても活躍中



本橋璃央(16歳/以下・本橋) 私も杉本さんが「原体験だ」と言っていた「浅間山荘事件」を知らなくて……。



■プロフィール(もとはし・りおん)
1999年、埼玉県生まれ。小学生高学年より行き渋り。中学生で不登校。現在は通信制高校に所属する。2015年9月より、本紙子ども若者編集部にも所属。


石井 当時の出来事を話してもかみ合いませんでしたね。

杉本 今日はもう不安だらけです(笑)。

石井 それでは、お二方の不登校経験からお聞きしたいと思います。


本橋
 私は、ある日、同級生と口論になり、仲裁に入った先生からいきなり叩かれたことがきっかけだったかもしれません。それ以前から保健室登校が続き、みんなから「仮病だろ」とか、「さぼってんな」と言われていました。学校に行けなくなってから一度は転校しましたが、そこでも「死ね」だとか、「消えろ」だとか。そんななかで「もう学校に行かなければみんなが不幸にはならない」と思い、学校に行かなくなりました。

行きたいけど行けない

杉本 私の場合、「醜形恐怖」がきっかけでした。いわゆる容姿にとらわれる精神疾患の一種で、高校1年生のときに学校に行ける状態ではなくなりました。発端となったのは中学生のころ、隣の席の女子から机を離されるということがありまして……。

本橋 誰かから机を離されるのは、今もありますね。

杉本 じゃあ、40年間、どこかで起き続けてる不幸なんですね(笑)。異性を意識し始めた時期にそうしたことが起きたこと、加えて親から成績を期待されてカンニングをしてしまったこと、校内暴力が始まっていたこと、これらが相まって学校は居心地のよいものではありませんでした。


 
 しかし、じつは学校よりも家のほうが居心地が悪かったんです。兄が私に対して威圧的で「お前の態度は軟弱だ」とか「そんなんじゃ社会でやってけないぞ」とか。今考えればたわいもないことです。でも当時の私は傷つき「家に居場所がない」という思いを強く持ちました。学校と家、双方のストレスが重なり醜形恐怖が始まったのですが、ひどいときには道も歩けない状況になっていました。その後、ひきこもった経緯については拙著『ひきこもる心のケア』を参考ください。


杉本 それはつらかったですね。しかし、お話を聞くと私とちがって本橋さんはアクティブですね。私の場合は、自分の意思で学校を拒否するというより「行かなければと思いながらも病気になってしまった」という感じでした。それは当時の登校拒否の典型のひとつだったようにも思います。

本橋 その思いはいっしょじゃないでしょうか。自分も「もう学校に行かない」と決めましたが「行かなきゃいけない」という気持ちは強かったです。「学校に行かなきゃヤバいのに」って思いながら公園で時間をつぶしていたこともあります。
 
当事者にとって「理由」とは?
 
石井 お二人のお話は不登校のきっかけとして取材のなかでもよく聞く話です。周囲からの視線、勉強のプレッシャー、学校で起きる不条理、家庭内の緊張感など。それ以上に時代状況がこれだけちがう二人が共感し合っていることに不思議な感じがしています。もう少し踏み込んでお聞きします。不登校調査で「不登校の理由・きっかけ」はつねに調査対象です。ご自身では「不登校の理由」を、どう捉えられているのでしょうか?

本橋 不登校をはじめてすぐ「なぜこんな状況になったんだ」と考え始めたんです。学校に行かなきゃいけないという思いがありながら学校に行くことができない。小学生のころから今に至るまで、さきほど話したようなことを思い出しました。でも、考えれば考えるほど不登校の「最大の原因」がわからない。「ふわっ」としてしまうんです。

杉本 本橋さんが話されたことは十分、理由になりえると思います。ただ「究極の原因」を探されているんですよね。お気持ちはよくわかりますが、「体がその場を求めていない」ということではないでしょうか。そこに理由は必要ないかもしれません。今は「行きたくない自分に正直であればいいのでは」と思うのですが。

本橋 時間が経てばわかることもあるかもしれませんが、将来の夢のためには不登校の理由を究極の一言で表せないと進めない気がするんです。

杉本 そんなに学校って行く必要があるんでしょうか。

本橋 自分よりつらい思いをした人もちゃんと学校に行ってるのに、なんで叩かれたぐらいで、とも思うし。

石井 杉本さん自身がひきこもっていたころはどう感じられていましたか。

杉本 本橋さんが言われたことは正論なんだと思います。私もひきこもっていたとき正論を抱えていました。「俺は甘い」「いつまでも親に甘えられない」。そう思って動こうとしましたが、全部ダメでした。その結果、うまく働けない自分が身に染みて、ひきこもりが始まりました。でも、それがすべてのスタートだったように思います。なので、年寄りくさいですが、「ぜひ夢に向かって進んでください」と思うと同時に、「夢は叶わなくても大丈夫だよ」と言いたい気持ち、その両面を抱えています。

石井 まだ話は尽きませんが、今日はここで終わりたいと思います。貴重なお話、ありがとうございました。(了)

本紙編集長・石井志昂による対談編集後記