邦楽囃子方・七代目福原百之助さん。邦楽囃子方とは、日本舞踊や長唄(三味線音楽)などで鼓や笛を奏でるお囃子奏者のこと。初代福原百之助は江戸後期に活躍した囃子方だった。その七代目福原百之助さんは中学生時代に不登校、福原さんの息子さんもまた中学校から不登校をしている。父として、経験者として、どんなことを感じられてきたのか、お話をうかがった。

――福原さん自身の不登校はいつからだったのでしょうか?
 
 中学1年生からです。1年生の後半から中学卒業するまでは、ほとんど学校には通わなかったです。今から考えれば、小学校6年生から生活環境が変わったのが大きかったように思います。私が住んでいたのは東京・日本橋の堀留町。ホントに下町で、80年代でしたが、近所の子どもなら誰が家に上がっててもいいという感じでね。同級生はそば屋さんや豆腐屋さんといった商店の子ばかり。サラリーマンの子は本当に少なかった。ドーナツ化現象が進んでいたので、幼稚園から小学校6年生まで1クラス。兄弟づきあいみたいな関係の同級生たちでした。
 
 それが小学校6年生のとき、地上げによって引越しせざるを得なくなったんです。引越し先も都内でしたが合わなかったですね。新しい学校は1学年5クラス、そもそも誰が誰だかわからない。感覚的には昭和30年代から急に現代にタイムスリップしてしまったような、そんな感じでした。



 なので、いじめがあったわけではありません。新しい友人もできました。先生も悪い人ではなかったです。ただ、どうしても行きたくなかったんです。
 
 当時は、今話したような環境の変化を言葉にすることはできませんでした。もちろん環境が変わったことは肌で感じていましたが、それと不登校を結びつけて考えていたわけではありません。「なんか合わない」「なんか行きたくない」、その「なんか」が自分でコントロールできないほど大きかった、というのが実感でした。

――伝統ある家柄なので、学校復帰への圧力も強かったのでしょうか?
 
 よく誤解されるんですが、稽古については一度も強制されたことはありません。怒られたこともないし、好きにすればいい、と。その点はめずらしいほうだったとは思いますが、学校についてはふつうの家と同じですね。「学校は行くもんだろ」というのが父の言い分、母も言葉にはしませんでしたが、同じようなことを考えていたんだと思います。

――不登校になってからの日常は、どんなものだったのでしょうか?
 
 中学校で知り合った友人のうち、一人はその後、不登校になりました。


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