連載「不登校50年証言プロジェクト」
大田堯さんは現在98歳。日本を代表する教育研究者として著名な方で、東京大学名誉教授、日本子どもを守る会名誉会長、北京大学客座教授などの肩書が物語る活動はもちろん、多数の著書と映画「かすかな光へ」を通して、教育とは何かについて、これほど深い探求をされてきた方はまれである。
「不登校50年証言プロジェクト」の関東チームでは、ご高齢ではあるが、だからこそぜひインタビューをさせていただきたいと念願していた。「生きていたらね」とお引き受けくださった8月22日が台風に見舞われ延期をせざるを得なかったが、幸い29日に実現、本当にすばらしい内容のインタビューを記録に残せて、疲れさせてしまったかと思うが、インタビュアーとしてはありがたかったの一語に尽きる。
不登校について、大田さんは「学校教育は集団でやりますから、矛盾が起こるのは明らかなことなんです。そこで適応できない子どもが出てきても一つも不思議ではなく、まったく当然なことです」と話される。
しかし、なぜそう思うのか。そういう認識をされているかについて、われわれはその奥にある人生をかけて探求してこられた「教育とはなにか」「学習とはなにか」「人間とはなにか」についての深い洞察を土台として知っておく必要がある。むしろ不登校だけを気にして考えていても皮相的であり、もっと本質的なところで考えていけば「そうか」とうなづけることだと感じた。
大田さんは少年時代、海軍に憧れる軍国少年だったそうだ。大学に入ってすぐ、教育とは「子どものなかから引き出すことだ」との考えに出会っておられる。
私は大田さんが自らの探求のなかで「エデュケーションという言葉が日本に入ってきたとき『教育』と翻訳されたが、それは誤訳ではないかと思っている」と話されていたことを思い出し、話を振らせていただいた。
するとなんと1000年前の中国の字引がお手元にあり、それを使って説明いただいたのには驚いた。
しかし、大田さんのすごいところは、ご自分をも客観的に見ておられることで「教育とは引き出すこと」と知っていても、「教育によって社会を改革する」という上からの意識が変わらなかったこと、一兵卒として戦争を体験しても、また戦後「国家の手によってやっていてはダメだ、地域から」と新しい教育計画を進めていかれても、反省の思いが強いとの言葉があった。
大田さんは、長い歩みのなかで、教育を命から捉える、命から考えねばならない、というところに到達されるが、そのプロセスがインタビューではくわしく語られていて興味深い。とくに自然科学研究の成果を踏まえ、生命は自ら変わる根源的自発性をみんな持っているとの指摘は重い。
そこに「まず教育ありき」ではなく、まず「学習ありき」と言える原点があること、人は社会的文化的胎盤で育つこと、生命本来の姿を大事にする方向に社会を向けていくこと、雇用から就業へ、など現在の教育をどう変えて行ったらいいかについても語っていただいた。最後の著書になるだろう、と言われた『ひとなる』(藤原書店)は刊行されたばかりである。このインタビューとともに多くの人に読んでいただきたい。(奥地圭子)
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