森英俊さん(小児科医)は、本紙「かがり火」執筆者のひとりで、ご存じの方も多いだろう。森さんは不登校経験者でもある。中学3年生の夏休み(1969年)、自室の床をはがして、地面に穴を掘って、そこにこもる生活を始め、そのまま夏休みが明けても学校には行かず、2カ月ほど、その穴ですごした。それが親に露見して父親に怒られるが、父親の価値観に反発して家出。あてもなく電車に乗って、大阪に出た。
 

名前も事情もなにも聞かずに

 
 深夜に大阪駅に着くと、ホームレスのおじさんが制服姿の森さんを見つけて、「捕まるから入れ」と言ってくれて、その人のダンボールハウスで一夜をすごす。当時の大阪駅には、集団就職で地方から出てきた若者がたくさんいて、そこで知り合った同世代の人の家に転がり込んだ。そして、ちょうど始まった万博で日雇いのバイトを始めたが、その際は名前も住所も何も聞かれなかったそうだ。
 
 その後、バイトで溜めたお金で各地を貧乏旅行。家出期間は3年半ほど。いろんな生き方と出会うことで、「どんな生き方も可能で、ここから自分の生き方を考えていけばいい」と思えたという。その後は鳥取にもどって高校に通うが、そこで出会った教師が、ハンセン病の問題に取り組んでいたことから、療養施設などでボランティアをし、それをきっかけに医師を志す。そして、開業医になって最初に出会った患者が、原因がないのに頭痛や腹痛がして学校に行けないという16歳の子だった。以後、不登校相談を毎週土曜日の午後に開くようになり、93年に親の会を立ち上げ、現在にいたる。
 

社会の懐が

 
 森さんのお話をうかがっていて、森さんの時代には、親の価値観とぶつかって、家を飛び出す子どもがいても、なんとか生きていけるスキマがあったり、深くは事情を聴かなくても受けとめてくれる人がいて、社会の側に、まだそういう懐があったのだと感じた。もちろん昔を美化することはできないが、学校にしても職場にしても、どんどん余裕がなくなっていて、懐が狭くなっていることはたしかだろう。いまだと、森さんみたいな子どもがいたら、すぐカウンセラーや医者に連れていかれる問題になってしまうにちがいない。
 
 また、社会状況が大きく変わるなか、かつてのようには「学校に行かなくても社会でやっていける」と言えなくなっている。そのうえで、不登校やひきこもりをどう肯定できるのか、問い直されているのではないか。そういう私の問題意識をぶつけたところ、森さんは、正解がない時代だからこそ、そこに希望があるのではないかと語っていた。
 
 たとえば鳥取にも、Iターンなどで農業を始める人がいるが、そういう人は「農業を教えてほしい」と言うそうだ。しかし、農家の人は誰かから教えてもらったのではなく、それぞれが自分の感覚でやってきたことだ。自分で試行錯誤をくり返しながら、身につけていくしかないもの。農業にかぎらず、そういう生き方が希望になるのだ、と。
 
 問題は、そういう自律的な足場を私たちが失っていることにあるのだろう。学校に行かなくてもやっていける社会があるとすれば、そういう足場を取り戻していくことにあるのだと思う。(山下耕平)

インタビュー本文はこちら