「不登校50年証言プロジェクト」は2年計画で進めており、ここまで14人の方に登場いただいた。1年目は、なるべく古い時代の話をうかがおうということで、各方面にあたった。その結果、1959年に日本で最初に登校拒否の論文を書いた佐藤修策さんに始まり、心理・精神医療関係者に話を聴くことが多かった。理由のよくわからない長期欠席が、いかに心理や精神医療の問題とされ、そこにはどのような時代背景があり、どう変遷してきたのか。情緒障害児短期治療施設や入院治療の問題など、さまざまにうかがってきた。
無着成恭さんなど学校関係者にもお話をうかがったが、とくに戦前や戦中、戦後まもない時期の話などは、たいへん重要な証言になっているように思う。
当事者にも話をうかがっているが、古い時代になるほど、インタビューを受けていただける方を見つけるのは難しく、お願いしたものの断られた方も何名かおられた。あたりまえのことかもしれないが、不登校経験は、それ自体の経験としてあるだけではなく、その後をどう生きてきたかによって、その経験をどう整理し、言葉にできるかが変わってくるものだろう。そして、そこには時代ごとの価値観や社会状況も大きく影響している。
また、不登校経験にかぎらず、多くの方には、ご自身の学校経験についてもうかがってきた。大づかみに言えば、戦争経験と高度経済成長の影響が、いかに大きいものであったかを考えさせられた。当然のことながら、学校と戦争は深く結びついてきたものであったし、とりわけ不登校については、高度経済成長とともに問題化し、広がってきたものだと言える。
個人的な実感として言えば、私は1973年に埼玉県の郊外住宅地で生まれているので、高度経済成長を経た後に生まれ、ある意味では均質化した学校を当然の風景として見てきた。戦前、戦中、高度経済成長前の話などは、それなりに考えてきたつもりではあったが、どうしても、どこか遠い話、フィルターの向こうの話のように感じていた面もある。しかし、このプロジェクトを通じて、さまざまな年代の方とやりとりさせていただくなかで、それぞれの人が生きてきた息吹から、学ぶもの、感じるものが多くあった。そして私が感じてきたフィルター感覚みたいなものは、どこか不登校の感覚とも通じるものかもしれないと思う。
さらに余談を言えば、このネット時代にあって、この間は手紙でやりとりさせていただくことが多かった。便せんに万年筆、青いインクが少しにじんだ手紙には、それ自体に息吹を感じたし、コミュニケーションの「間」に感じることも多くあった。人が何かを学ぶというのは、語られた内容だけではなく、その息吹から得るものも多いのだろう。紙面に少しでも、その息吹が伝わっていればと願っている。
まだ、60~70年代の方の話も登場するが、今後は80年代以降に関わってきた方の話も出てくる。どうしても古い時代ほど、「専門家」に話を聴くことが多く、そのためか男性に偏りがちでもあったが、今後は、より多面的な角度からインタビューしていきたい。(山下耕平)
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