不登校新聞

305号(2011.1.1)

漫画家・荒木飛呂彦さんに聞く

2013年12月20日 14:53 by kito-shin
2013年12月20日 14:53 by kito-shin



マンガへの原動力は"好奇心"


 新年号の巻頭インタビューは、マンガ家の荒木飛呂彦さん。20歳でプロマンガ家としてデビューして以来、第一線でマンガを描き続けている。代表作『ジョジョの奇妙な冒険』は87年から現在まで連載されており、幅広い世代から大きな支持を得ている。荒木さんにマンガ家としてのこだわりなど、子ども若者編集部がうかがった。

――荒木さんの子ども時代のお話から、お聞かせください。

 海外に強いあこがれを持っている子どもでした。でも、海外なんてそうかんたんに行けませんから、夏休みになると、アウトドア用品を持って自転車旅行に出かけるんです。2~3週間かけて北海道をぐるっと一周したりするわけですが、自分のなかでは「楽しい旅行」というより「武者修行」という感覚でした。自然のなかでテントを張って寝起きしたり、ときにはオバケに出くわしたり(笑)。

 そんな自転車旅行から帰ってくると、ちょっと大人になれた気がしたんです。体力だけじゃなくて度胸もつきますから。

――「マンガ家になる」と決意されたのはいつごろだったのでしょうか?
 高校生のときですね。父が画集をたくさん持っていたり、趣味で絵を描いていたこともあって、絵を描くことは子どものころから大好きでした。

 高校生になると「将来どうするか」というように、進路をめぐってまわりも慌て始める時期じゃないですか。親には内緒にしていたんですが、私は「マンガ家になる」とひそかに決めていました。『週刊少年ジャンプ』に投稿してみたり、実家があった仙台から電車を乗り継いで、東京にある集英社までマンガを持ち込んだりもしました。

 そう決心したのは、ゆでたまご先生のデビューがきっかけでした。『キン肉マン』という作品でデビューされたとき、ゆでたまご先生は高校生だったんです。「自分と同じ高校生なのに、向こうはプロのマンガ家なんだ」ということに焦りをおぼえました。それが転機になって、「自分はこのまま趣味でマンガを描いているだけでいいのか」と、真剣に考えるようになりました。

漫画家として生きていく その一線だけは越えない



――小説や音楽など自己表現の方法はいろいろありますが、なぜマンガだったのでしょうか?
 ん~、けっこう深い質問ですね(笑)。一つには、子どものときから絵を描くと心が落ちついたという実体験が大きいです。私には双子の妹がいて、妹たちはとても仲がいいんです。兄としてその輪にちょっと入りづらいというか、疎外感を感じるときもあって。そういうときに絵を描いていると不思議と気持ちが楽になったし、描いた絵を通して妹たちとも仲よくなれたんです。

 また、時代背景も大きかったなと思います。当時は、藤子不二雄先生、ちばてつや先生といった著名なマンガ家がたくさんいらして、すばらしい作品を次々と世に送り出している時代でした。マンガを読みながら「自分だったらこうするな」とか、子どもながらに考える時間がとても楽しかったんです。それがきっかけで「マンガを描いてみたい」と思うようになったので、マンガ以外の選択肢はちょっと考えられませんでしたね。「自分はマンガ家として生きていく」という線を引いてからは、その一線を越えようとは思いませんでしたし、その気持ちはいまも変わっていません。
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