引き続き、精神科医・高岡健さんへのインタビューを掲載する。
"いいかげん”を目標に
――医療よりも、まわりの関係が大事ということですね。
ところが、しばらくすると、また悪化してしまうことがある。それは、そういう人が、手のひらを返したように、去ってしまったりしたときです。
これはなぜなのか。まわりの人が自分の負担にならない範囲で応えていればいいんだけど、得てして自分の余力を越えて、「この人のために」と一所懸命やりすぎるんですね。そうなると、もたなくなってしまって、去るほかなくなる。ここで、よりひどい、「もっと見て」が出てくる。まわりがうまい関わりをしているときは、その人の7割くらいの力で関わってくれています。これは長続きする。
献身さが依存を再生産
アルコールの治療をやっている精神科医は、自戒を込めて、「アルコール依存を治りにくくしているのは医者だ」と言います。アルコール依存で体がぼろぼろになった人を、ていねいに治療して、また飲める体にしてもどしている。つまり、アルコール依存を再生産している。あるいは、妻が再生産していることもある。夫がした不始末を、妻が謝ってまわったり、弁償したりする。そうすると、夫はまた安心して飲める。献身的につくすことは、自分にとっては心地よくても、結果、それによって、さまざまな依存症を再生産してしまいます。
――では、どうするのがよいと?
さっき、人格障害はありふれた現象になったと言いましたが、皮肉なことに、ありふれたことだと思ったほうが、本人の安定につながるんですね。特別なまなざしでみて、一所懸命治療しようとすればするほど、うまくいかない。あまりにありふれて、"またか”ぐらいに不まじめに見たほうが、結果的に安定している。
このへんが医学と医学以外の区別なく、重要なヒントになると思うんですね。医学的な対策が必要だからと、あまりに医学のほうに問題を投げてしまうと、かえってうまくいかない。じゃあ、医学以外で支えたほうがいいということで、一所懸命、献身的にやればいいかというと、そうでもない。
摂食障害当事者の自助グループの機関紙に『いいかげんに生きよう』というのがあります。このフレーズは、あらゆる依存症の人の最大の目標になります。そこに少しずつ近づくほど、依存しない生き方も増えてくる。ですから、いいかげんに生きることを目標にしていく。治療も、それが共通の理解になってくると、進みやすい。そして、学校や家庭や職場で、それに見合う環境をつくっていく。そこにささやかな助言をするのが、医者ができる、数少ないことです。
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