不登校新聞

297号(2010.9.1)

じゃがいもじゅく日記「自己を卑下する感覚」

2013年10月22日 15:08 by kito-shin
2013年10月22日 15:08 by kito-shin


 昨年6月、「すみません、空きはありますか?」と、Fさん(52歳・女性)から電話がかかってきた。「何年生ですか?」と聞くと、Fさんは少し黙って「じつは、私なんです」と答えた。

 僕はびっくりしたが、Fさんの話を聞きながら少し考えてみれば「ありえる話」だと思った。それはFさんの子ども時代の経験が、今現在「じゃがいもじゅく」に来ている子どもたちの経験と重なる部分があったからだ。

 Fさんはれっきとした日本人であり、政治的情勢から教育機会を奪われたわけではない。そのFさんが「じゃがいもじゅく」で学び直したいと思ったのは、小学校のとき「マルをもらった記憶がない」という心の傷を「ずっと、いままで抱えてきた」からだという。現在、Fさんは月2回、「じゃがいもじゅく」で「分数」の学習を続けている。

 昔も今も学校の学習についていけない子どもはいる。こうしたことを考えていると、Gさんの言葉が蘇ってくる。Gさんは現在、中学3年生。「学校の学習についていけないから」という理由で、小学6年生から中学2年生まで「じゃがいもじゅく」に通っていたが、中学3年生に進級するとき、高校進学の準備を理由に「じゃがいもじゅく」を卒業した。
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