不登校新聞

537号 2020/9/1

不登校の息子に対して私が実践した3つのルール

2020年08月31日 10:42 by motegiryoga
2020年08月31日 10:42 by motegiryoga


野田さんのノート「言葉の宝物」の1ページより

 「ドアの向こうで息子が死んでいたらどうしよう」と不安に思う日もあったという野田麻里さん。野田さんの息子さんは、中1から不登校になったが、現在は専門学校生。野田さんには、不登校で苦しんだ時期に見つけた3つのルールがあるそうです。

* * *

――息子さんが不登校になったときのことを教えてください。

 息子が学校へ行かなくなったのは、中学1年の10月からです。原因は同級生からのイヤがらせでした。

 ある男の子からイスを蹴られるなどのいやがらせを入学式の日から受けていたようです。それが苦痛で息子は学校へ行くのがつらくなったのです。

 イヤがらせは受けていましたが、病気でもないのに学校を休むのは悪いことだと息子は感じていたようで、「休みたい」とは言いませんでした。

 その代わりに「今日はお腹がいたい」とか「なんだか体がだるい」と言って、私のようすをうかがってくるんです。

 「じゃあ休む?」と私が聞くのを待っているんですね。「休む?」と私が聞くと、申しわけなさと安心とが入り混じったような表情で「うん」と息子は答えていました。

 しばらくのあいだは、毎朝こうしたせめぎあいが続き、休む回数が増えていきました。そして中学1年生の10月、合唱祭を終えたところで限界に達したようです。以降は卒業式の日まで1日も学校へ行くことはありませんでした。

 当時、私は息子の不登校を受けいれることはできませんでした。「少しくらいイヤなことがあっても社会に出たらもっとイヤなことがある」「学校ってイヤなことを克服する場所なのに」。そんなふうに思っていました。

 なんとか学校へ行かせようと無理やり制服に着替えさせようとして取っ組み合いになったことも多々ありました。

 そんなふうにしてまで学校へ行ってほしかった理由は、結局のところ私が世間体を気にしていたからだと、今は思います。

 私はPTA役員もしていましたので、同級生の親御さんやご近所さんに対して「うちの子は不登校じゃないですよ」という顔をしたかったんです。

 私が考えていたのは「今から学校へ行けば3時間目には間に合う」とか、「明日から学校へ通い始めれば、不登校としてカウントされないな」とか、息子の気持ちをまったく無視したことばかりでした。

――その後、お母さんの気持ちに変化があったんですよね。

 どんなに私が「行かせる努力」を続けても、息子は学校へ行きません。「これじゃあ何も解決しないんだな」と思い始めました。

 とはいえ、どうしたらいいかわかりませんでした。相談できる人もいなくて、悶々としていました。

 その一方で息子との毎朝のバトルは日々、激化していきました。私は息子のことを全然わかろうとせず、息子の気持ちを、息子自身の言葉で説明することを求めていました。

 「なんで学校へ行けないの」「言わなきゃわからないでしょ」と。

 一方、息子は、母親はなんでもわかってくれる存在だと思いたかったようです。「ママなんだからわかるでしょ!」と言い返されました。あるときは、「言葉にできない!」と大泣きされたこともあります。

 私は息子が何を考えているかわからないし、息子もどう伝えたらいいのかわからない。当時の息子から出てくるのは暴言ばかりで、私はサンドバック状態でした。

 こんな毎日ですから、「この先どうなっちゃうんだろう」と本当に不安でした。でもあるとき、「過去、不登校だったけど今は素敵な人生を送っている人がいるかもしれない」と思い、ネットで「不登校 有名人」と検索してみたんです。

 その際に出会ったのが『不登校新聞』でした。とくに『不登校新聞』の読者どうしで交流できる「メーリングリスト」(下記参照)の存在が心の支えになりました。

 まわりに不登校経験者がおらず、誰にも相談できなかった私は、メーリングリストで悩みを打ち明けてみたのです。「息子の暴言がつらいです」と。

 すると、先輩お母さんから、「この人だったらわかってくれると思うから、すべてをぶつけてくるんだよ」と言われました。その答えは私にとって衝撃でした。

 「そうか、息子は愛情を求めているんだ」。そうわかったとき、息子のことを「なんて愛おしいんだろう」と思いなおすことができました。

3つのルールは

――ご自身の気持ちが変わると息子さんへの接し方も変わりましたか。

 そうですね。「不登校の子どもは『困った子』ではなく、『困っている子』だ」という一節を本で読んだことがあります。これを読んでからは、息子に対しての態度を「変えなきゃいけない」と強く思いました。

 そして、私なりに、3つのルールを決めました。「命令しない」「否定しない」「ありがとうと言う」です。困っているわが子が、どうしたら気をラクにできるかと考えて編み出したルールでした。

 「命令しない」は、食事のとき、「ご飯食べなさい」と言うのではなく「ご飯できたよ」と言う。お風呂も「入りなさい」ではなく「お風呂が沸いたよ」と言います。息子が食べるか食べないか、お風呂に入るか入らないか、選択できるような言葉にしたんですね。

 次に「否定しない」。息子がオンラインゲームをやっていると、「いつまでやっているの。もうやめなさい」と言いたくなってしまいます。

 でも、楽しくゲームをしているなら「誰とやっていたの?」「どんなゲーム?」と聞くようにしてみました。すると、いろいろと息子が教えてくれて、私に対して心を開いてくれるようになったんです。

 最後のルールが「ありがとうと言う」。カーテンを閉めてくれただけでも、「やってくれてありがとう」ときちんと伝える。

 感謝の言葉は、言われた側が自分の存在意義を確認できると思ったんです。「誰かの役に立っている」と思うことで、自分の存在に意味がある、と感じられるかもしれません。

 3つのルールを軸に、これまでは「家族だから別にいいじゃん」と気にしてこなかった息子への言葉づかいの一つひとつを、変えていきました。

――すごく大事なことですが、親子だからこそ言葉づかいは変えづらいですよね。

 私にとって息子は、産まれたときからかわいくてしょうがない存在です。つらい思いをしている大事なわが子をどうにかして救いたい。

 そう思ったとき、変わる必要があるのは息子ではなく私だと強く思いました。私が変わらなければ息子は救えないし、逆に追い詰めてしまうと。

 ですから、「命令しない」「否定しない」「ありがとうと言う」は私を変えるための修行でした。

 3つのルールを中心に態度や言葉に気をつけていくと、息子はだんだんと明るくなっていきました。

息子に伝えたい「ありがとう」

――今は高校を卒業して専門学校に通う息子さんを見て、どう感じられていますか?

 「生きていてくれてありがとう」と言いたいです。不登校だったころ、「なんのために生きているのかわからない」「生きていても意味がない」と息子はよく泣いていました。

 これを見ていたので、私はいつも不安でした。買い物から帰って玄関の前に立つと「このドアの向こうで息子が死んじゃっていたらどうしよう」と想像して怖かったです。

 鍵穴に鍵を差す手が震えたときもありました。そのくらいずっと気が抜けない日々でした。

 不安との戦いのなかで、私は自分の気持ちを支えるためにノートをつけていました。新聞や本、音楽の歌詞などから見つけた「大事にしたい言葉」をメモしたノートです。

 私のこのノートに「言葉の宝物」と名前を付けていました。そのなからひとつ、紹介したい言葉があります。

 「啐啄同時(そったくどうじ)」という四字熟語です。鳥のヒナが孵化する直前に卵のなかから鳴き、親鳥はそれに応えるように外から殻をつついて割る、ということを表す言葉です。

 私は、ヒナと親鳥の姿を息子と自分に重ねていました。外に出る準備が整っていないうちに「早く出ろ」と突いたら、卵のなかでヒナが死んでしまうかもしれない。

 でも、「そろそろ」と合図があったらコツコツと親が殻を割ってサポートしてあげればいい。「何事にも時がある」と思うんです。

 息子が外へ出る「時」は親ではなく息子が決めるものなんですよね。息子は無事に卵から出てきてくれました。ふり返ってみると、さまざまなことに気づかせてくれた息子に、本当に感謝しています。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳、編集・本間友美)


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