今回、取材をしたのは永山則夫事件(メモ参照)、日本赤軍事件を担当した大谷恭子弁護士。大谷さんには、永山則夫事件で実際に見てきた「死刑」とは、どんなものだったかをうかがった。
――そもそも永山則夫裁判に関わるきっかけは?
私が関わったのは1審の死刑判決が出てからです。率直に言えば、やる気はなかったんですが、かなり荒れた法廷で弁護人をやる人がいない、と言われました。私は、どんな事件でも、どんな人でも弁護は必要だと思っています。弁護士が、事件によって「やりたくない」などと言うのはいかがなものか、と。ただ弁護士とその人との相性というのはあります。その人と弁護人がおたがいに信頼関係が築けないと、どんな結果になろうとも、おたがい不幸になるんです。だから、どんな事件でも引き受ける。けれども、信頼関係を築けなければ身を引くことにする。そこは選択しているんです。
永山さんに始めて会ったとき、たしかに激しい人ではありましたが、その人柄を見て「やれそうだな」と思いました。それが弁護を引き受けた一番の理由だったと思います。
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