不登校新聞

287号(2010.4.1)

私の不登校その後 恩田夏絵

2020年12月08日 10:17 by kito-shin
2020年12月08日 10:17 by kito-shin



 今回は恩田夏絵さん(23歳)。小中学校で不登校をし、現在はピースボートで働いている。今年、「船の中でフリースクールを開きたい」という念願が具現化するそうだ。恩田さんに、不登校経験について、準備されている「グローバルスクール」について、うかがった。

海の上にフリースクールをつくりたい

 

――いつから不登校をしていましたか?

 いつからかというのは難しいんですが、義務教育期間は、だいたい半分ぐらいしか行ってません。学校があわないというか、「学校ってなんなんだろう?」と、はじめて疑問に感じたのは、小学校2年生のときからです。それからは行ったり、行かなかったりをくり返していました。

 中学校は、ちゃんと行ってみようと思ったんですが、半年ぐらいで行かなくなりました。今度は、ただあわなくて行かなくなったというより、人間関係に悩みました。というのも、中学生になると、いじめというか、思春期だからというか、他人と自分がちがうことへの理解が追いつかないんだと思うんです。とくに女子は「みんなと同じに」っていう圧力がすごい。集団トイレや流行りすたり、全部が全部、みんなの空気を読んでいないといけない。空気を読んでいないと、人から拒絶されるし、仲間はずれにされたら恐い。私も、みんなにあわせようとしてたこともありましたが、そういう自分がイヤでした。あともう一つ、「がんばるのがダメ」っていうのもキツかったですね。空気としては、なにをするにも『乗り気じゃない姿勢が一番よくて、がんばるのはカッコ悪いこと』。そういう空気を打破したかったんですが、痛い目にあったので、それはその後も引きずりました。

ひきこもりは私の原点


――それからは?
 中学校2~3年生のときは、ほぼガッチリひきこもりました。この2年間は、自分のなかの原点だと思うんです。表面上は、和太鼓や芸術関係の趣味を持てたということがありますが、内面ではすごく葛藤しました。苦しかったですが、やはり、この期間は原点になっています。

 ひきこもっていたとき、いろんなことを考えました。なんで自分はこんな状況になってるのか、なぜ人間関係はうまくいかないのか。最初に直面したのが自分を責めることでした。とにかく自分がいけない、変わらなきゃいけない。それを頭で考えられればいいんですが、気持ちに頭が追いつかなくて、リストカットをくり返す。そういう生活をずっと続けていました。その後、親を否定する時期に入り、親を拒絶したいという思いから、高校に行き、アルバイトも始めましたが、心はひきこもりっぱなしでした。ずーっと自分に自信が持てず、自傷や他人への依存で、なんとか自分のバランスを保っている状態でしたから。

 なにか道がないかと、和太鼓に専念したり、アート系に進もうと思っていましたが、やっぱり自分に自信がなくて、どこかブレていたので、うまくはいかなかったです。これは「なにかをやる前に自分の芯を持つことが先だな」って思ったんです。そこから先は、ものすごい単純で、自分の視野を広げるために世界を見てみようと。そのとき、ピースボートに出会ったんです。


――ピースボートにはどう関わったのでしょうか?
 ピースボートにはボランティアスタッフという制度があります。ピースボートの精神は、主催者が乗客に楽しみを提供するのではなく、意義のある 旅行をみんなでつくりあげていくところにあります。なので事前に関われる仕組みがボランティアスタッフなんです。それともう一つ、事前に関わると旅行代金 が割引きされます。ぶっちゃけ、私は割引狙いでしたけど(笑)。

 ただ、関わり始めてみると同世代も多いし、旅行前に知り合いがいると心強かったですね。私が最初にしたのは、ポスター貼りや資料づくりなどの単純作業。 その後は参加者向けのイベント立案もしました。ここらへんから、ぐっと関わるのがおもしろくなったんですが、やっぱり船に乗ってからのほうが、もっとよ かったんですよ。
 
――というと?
 船に乗ってから、一番思い出深いのは運動会です。だいたい船には800~1000人ぐらいの人が乗船しています。その人たちを4グループに分けて、船の上で運動会をしました。

生きることを他人に委ねない

 私はグループの応援団長に選ばれて、みんなに楽しんでもらおうといろいろがんばったんです。そしたら、運動会の終了直後から「お疲れさまコー ル」をされ、次の日にも「楽しかったよ」「ありがとう」って声をかけられました。それが、ホントにうれしくて! 学校を辞めて、さんざん自分を責めて、親 を責めて、他人に依存して……、そうやって葛藤することから始まるんですが、やっぱり人生は人任せじゃなくて、自分でケツ持ってやっていくほうがずっと ずっと楽しいんだな、と思って。

 船ではゆっくりしたい人もいます。楽しみたい人もいます。どんなカタチでもすなおな自分が受け入れられる状況、それが私の求めていた環境だったんだと思 います。どうしても学校に行かなければ、不利になるし、学校外の学び場はすごく少ない。でも、私が感じた居場所というか、フリースクール的な面でのピース ボートの旅は、とても意義深い学びだと思ったんです。だから、今回、もっともっとピースボート的な「学びのかたち」を打ち出せるプログラムとして、「グ ローバルスクール」という企画を立ち上げたんです。
 
――「グローバルスクール」ではどんなことをしようと考えていますか?
 グローバルスクールとは、第70回クルーズで実施されるプログラムのことです。要は「船のなかでフリースクールが開かれる」という感じです。

 用意されているプログラムとしては、フリージャーナリストの池上彰さんや伊高浩明さん、『世界がもし100人の村だったら』の池田香代子さんなど水先案 内人による課外授業。実践的な英会話講座。各寄港地での交流や農業体験。それと、私がオススメなのは西田弘次さんの、コミュニケーションワークショップで す。

 こうしたワークショップの一方で、しゃべり場やイベントの企画立案など、航海中に生まれるプログラムも考えています。


私は私でいい あなたも…

 私が船でおもしろいと感じたのは、「自分でつくる」という過程だったと思いますが、それは「異文化に触れることで自分が解放される」というのが前提にあるんだと思っています。

 世界に一歩出ると、まず日本とは言語がちがうし文化もちがう。圧倒的にいろんなことがちがいすぎて、自分の常識なんてなにも役に立たないんです。私がひ きこもっていたとき、自分もまわりも「変わったほうがいい」と思っていました。でも、どうにもならなかったんです。それが、実際に異文化・異言語に接する と、いままでの価値観が崩れていき、自分にしがみついていられない。そういう経験って、なんだか自分のことが認められるんです。人と人がちがう、だからお もしろい、人と人がちがうから、私は私でいい、それを、理屈じゃなくて実感するのが、ピースボートの旅です。

 私は日本の学校はもっと変われると思っているし、いい世の中になるとも思っています。そのためには、自分が経験してきたことに根ざして、社会に提起でき ればと思っています。そして、苦しんだ人、何か変わりたいと思っている人、ちょっとハッちゃけたいと思っているだけでもいい。そういう人といっしょに、苦 しいだけじゃない、その先を、いっしょに見られるような機会をつくっていければ、と思っています。
 
――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

本紙に掲載後、恩田さんは「グローバルスクール」を開校。詳細は下記を参照に。
グローバルスクールはこちら(http://global-school.jp/

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