不登校新聞

287号(2010.4.1)

映画評「アヒルの子」

2013年12月03日 14:40 by kito-shin
2013年12月03日 14:40 by kito-shin
Ⓒノンデライコ


 かつて哲学者のニーチェはこう言った。「私が信じるのは血で書かれた文章だけだ」。この映画は、血で編まれている。監督であり主人公である小野さやかの血と、その家族の血だ。

 彼女は5歳のときに1年間ヤマギシ学園幼年部に預けられた。両親の教育方針によるものだが、しかし彼女は「親に捨てられた」と感じる。以来、2度と捨てられないよう、家族の前ではいい子を演じてきた。いい子を演じすぎて、本当の自分がわからなくなるほどに。

 「家族を壊したい」。それがこの映画のモチベーションだ。道化としての自分を捨て、これまで積もりに積もった本音の感情を家族ひとりひとりにぶつけてゆく。性的虐待をした長兄や、自分を捨てた親。どれだけ苦しかったか。悲しかったか。むき出しの感情が、ときに暴力的な手法をともなって家族と対峙する。彼女はやがて、自分のつらさの原点である5歳のときの記憶をたどるため、ヤマギシ学園の同窓生や先生たちを訪ねる旅に出る。

 なぜ、こうもむき出しの感情をぶつけ合うのか。泣き叫びながら対峙するのか。決まっている。家族と、もっとつながりたいからだ。許したいからだ。しかし分かり合えない。映画のなかには家族とのディスコミュニケーションがいく度も描かれている。
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