いじめ・不登校の状況は、教育とりわけ学校教育のストレス度と密接に関係がある。それも一人ひとりの個性や状況が大事にされ、最善の利益に立つ制度や関わり方が求められる必要があった。

 しかし、00年代の教育政策の方向は逆であった。幕が明けるや、首相諮問機関の「21世紀日本の構想懇談会」では、グローバル化に勝ち抜く国家国民像を提示、「教育改革国民会議」は早速、教育基本法改正を提示、同法は、やらせタウンミーティングなども含め06年に強引に国会を通過した。ゆとり教育の後退・授業時間や学習内容の増加、そして全国一斉学力テスト実施へと、ストレスの増す状況は進んだ。公立校の卒業式では、日の丸・君が代が強制され、東京都は、斉唱時起立しない教員を大量処分し、教員免許法の改正をして教員管理を一層強めようとした時代でもあった。「ゼロトレランス」という言葉どおり「寛容度ゼロ」の生徒指導が広がっていった。少年法改正が行なわれ、追いつめられた少年を待っているのは厳罰化であった。いじめ・不登校が増加し続けても不思議はない。02年、学校基本調査による小中不登校者数は過去最高の13万9000人を示した。

 増加に歯どめのかからない事態を「憂慮」して国は「不登校問題に関する調査研究協力者会議」を開催、03年に「学校復帰にもっと働きかけを」という最終答申が出されたからたまらない。各地で「不登校半減政策」「不登校ゼロ作戦」など数値目標をかかげての登校圧力が強まり、子ども達はより休めなくなった。04年、小学生の校内暴力過去最多、小学生の刺殺事件、「小学生の1割抑うつ傾向」など、小学生にまず影響が表れ、まもなく、もっと深刻な事態に日本中が直面する。06年秋に集中して表れたいじめ自殺である。いじめがあっても休めない状況のなかでは残る道は自死しかない。しかも、おそまつなことに、翌年の文科省調査では「いじめ自殺ゼロ」とあり、調査の抜本見直しとなった。

 登校圧力の影響で03年から微減した不登校は08年から再び増加、09年は中学生の不登校率が66年以来の過去最高となった。

 当事者とともに、不登校を考えようという市民活動は活発であり、00年の「世界フリースクール大会」の日本開催をきっかけに「フリースクール全国ネットワーク」が誕生、09年日本フリースクール大会を開催、公教育以外にも多様な教育を認めること、学校復帰を目標とする不登校政策の見直しなどを盛りこんだ政策提言を採択した。親の会をむすぶ「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」は20周年を迎え、全国調査「支えあって生きる」を発行、両ネットワーク共催の夏の大会では子どもたちが起草した「不登校の子どもの権利宣言」が万雷の拍手で採択。国連子どもの権利条約採択20年の年、子どもたちが声をあげた意味は大きい。07年にはフリースクールによる公教育化として中学校設立も実現。

 09年秋、歴史的な政権交代が実現した。08年に生まれたフリースクール環境整備推進議員連盟はどう動くのか。いまこそ長いあいだ、苦しんできた不登校政策の抜本的改革を望みたい。