今回取材したのは、赤坂憲雄さん。赤坂さんは東北文化研究の第一人者として有名だが、1986年に『排除の現象学』にて、変わりゆく子どもたちの「いじめの構図」を鋭く指摘していた。赤坂さんには、いじめ、いじめ自殺についてのお考えを聞く一方で、民俗学の視点からも語っていただいた。

――まずは『排除の現象学』で指摘された「いじめの構図」についてお願いします。
 教育現場からは、ずいぶん離れてしまっていますから、現状については疎いということを前提にお話しします。

 私が「いまのいじめは変わったのかな?」と思ったのが、1980年代前半です。私は20代の終わりごろから、10年ぐらい塾の先生をしていました。塾で働いていて見えてきたのが、いじめる子といじめられる子がクルクル変わっているという状況です。はじめに、それを気づいたのは、ガキ大将タイプの子が、みんなにシカトされて、めいってる姿を見たときでした。

 『次郎物語』(第一部1941年刊・下村湖人著)には、子どもたちによる壮絶ないじめが描かれています。村の有力者の息子が中心になって、貧しい小作の少年をいじめるという古典的な構造です。こういう、ある集団の全員が一人をいじめる構図は「全員一致の暴力」と呼ばれています。

 全員一致の暴力の標的となるのは、明らかな「差異」を持っている人です。当然、差異があるからといっていじめの標的にされる正当な理由にはなりませんが、とにかく、身体的な障害などの目に見える差異がありました。

 均質性の高い分身状態



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