今回は社会学者の小熊英二さんにお話をうかがった。小熊さんには、不登校についての考え、若者が「生きづらさ」を抱えている現状についての考えについてなどを、お話しいただいた。

――不登校についてのお考えを聞かせてください。
 まず学校の歴史をふり返ると、日本の場合は、明治5年(1872年)に学制発布をして、現在とほぼ同じぐらいの学校を設置しました。それは諸外国を見ても、かなり強引なやり方で、学校の設置費や維持費は地元負担が原則でした。

 当時の日本では、学校というのは村への出先機関だったんです。先生というのは、特権を持った存在であり、村の重要な行事は学校の校庭で行なわれるのがふつうだったわけです。そしてもう一つ、学校は軍隊の養成機関でもありました。西南戦争(1877年)のあと、明治政府はふつうの人間を徴兵しても身体的な訓練ができていない、と判断し軍隊式の体操を学校に持ち込みました。こうして西洋の近代化よりも急激に近代化を遂げ、識字率90%を超えるなどの成功を収め、一方では近代化してしまった悲劇を生んだわけです。

 いずれにせよ、政府は学校を更生機関として一貫して非常に重要な位置づけをしてきました。

 ただし、子どもにとって、学校という場はある時期まで苦痛を伴う場ではありませんでした。社会全体が貧しかった時代は、子どもは、学校に行けば家業を手伝わなくてよくなるので、学校を喜び、親は行かせたがらなかった。いまでも発展途上国に行くとそうです。1950年代の日本、たとえば1957年の乳幼児死亡率は全国平均で4%、岩手県の山間部では14・5%にのぼっていたわけですから、給食も喜んだ。ちなみにアフガニスタンの乳児死亡率は14・9%(2000年~2005年統計)です。

 こうした状況が逆転したのは高度経済成長期以降、子どもが働く必要がなくなった時期からです。1960年時点では高校進学率が57・7%だったのが74年には高校進学率が90%を超えた。このころから学校は目を輝かせていく希望の場から、落ちこぼれるのがイヤだから行くしかないという場に変わったわけです。

 戦後の指導要領をずーっと見ていくと、授業内容をどんどん簡単にしているのがわかります。数年前に、ゆとり教育が騒がれましたがそれ以前から基準を下げ続けていたんです。そうでないと人口の90%以上が受かるわけないですからね。

 ほとんどの人が行く学校になり、その直後から校内暴力が注目され、不登校が増えていく。非常に自然というか、当たり前の話だと思います。


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