不登校新聞

274号(2009.9.15)

【公開】現場で進む親子の分断 内田良子

2014年02月04日 13:53 by 匿名
2014年02月04日 13:53 by 匿名


「不登校を考える第20回全国大会」で行なわれたスペシャルシンポジウム「不登校 これまで これから」。登壇した内田良子さん、山下英三郎さん、喜多明人さんの講演録を掲載する。

◎不登校 これまで これから


 1990年代が不登校の子どもたちにとって、どのような時代なのか。それは学校を休むことを必要とする子どもたちと、学校を休むことは問題と見なす学校教育との闘いの時代であったと、私は考えています。

 1989年、東京シューレの子どもたちが中心となって、「登校拒否の子どもたちによる登校拒否に関するアンケート」を発表しました。アンケートのなかで、「あなたはどうして学校に行かなくなりましたか?」という質問について、一番多かった理由が「子どもどうしの関係」(40・3%)、「学校の雰囲気」(39%)、「いじめ」(32%)と続きました。

 加えて94年に広島で行なわれた「登校拒否を考える夏の全国合宿」では、子どもたちが「風の子学園事件」をわがことと受けとめ、怒りと憤りと悲しみを踏まえた宣言文をつくり、デモ行進も行なっています。しかし残念ながら、こうした子どもたちの声がきちんと受けとめられることはなく、「1日も早く学校に復帰するように」という対策は変わりませんでした。

 登校拒否の子どもの増加に対し1992年、文部省が「登校拒否はどの子にも起こりうる」と、認識を大きく転換しました。そのうえで、登校拒否は学校問題に起因するとしたことは重要な動きでした。

 しかし、ここには大きな問題点が二つありました。一つに、認識転換そのものは歓迎されるものであったものの、具体的にすすめられた対策は「早期発見・早期対応」の取り組みだったということです。つまり、すべての子どもに不登校対策の網がかけられ、子どもが学校を休みづらい状況になってしまったのです。



 もう一つの問題点は、親子の分断です。それまでの親の養育態度と子どもの性格上の問題が治療・矯正の対象でした。このため、親と子どもは同じ土俵で身を寄せ合い偏見や学校と闘いました。それが認識の転換によって不問にされた親の「子どもに学校に行ってほしい」という願いが一致した学校は、スクールカウンセラーなどの専門家の力を活用して登校刺激を行なうこととなり、子どもが置き去りにされることとなりました。しかし、さまざまな施策を講じたものの、不登校の数はいっこうに減りませんでした。

 そこで2001年、当時の町村文部科学大臣が「自由のはき違えが不登校を生む」と発言したことを皮切りに、2002年の「不登校問題に関する調査研究協力者会議」において、「見守るから積極的に働きかける」という方針転換がなされました。この転換はのちの2006年、「学校を休むこと」を受けいれられない子どもたちがいじめなどを苦に自ら命を絶つ事件が頻発する事態を招くなど、子どもたちの孤立感を強める要因となったのです。

 こうした一連の流れを受け、私たちは一昨年、国民教育総合研究所のなかに「子どもの視点に立った不登校問題再検討研究委員会」を設け、「学校を休む権利の保障」「学校外で学び成長する保障」などを文言に盛り込んだ提言をつくりました。この提言を子どもと保護者、および教職員に対し広く伝え、子どもの人権を重視する、子どもの立場に立った学びと育ちの実現に向けた取り組みを続けていきたいと考えています。

(うちだ・りょうこ)心理カウンセラー、子ども相談室「モモの部屋」主宰。おもな著書に『登園しぶり 登校しぶり』『子育てはなぞとき』など。

◎不登校これまでこれから 山下英三郎

◎不登校これまでこれから 喜多明人

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