「不登校を考える第20回全国大会」の基調講演を抄録掲載する。講師は奥地圭子さん(登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク代表/本紙理事)。

 今日、不登校を考える全国大会が20回を迎えられたこと、うれしく、そしてすごいことだと思っています。全国のどこでやっても、みなさんが駆けつけてくれ、積もる話をし、ときには泣きながら話してきました。前史に当たる登校拒否を考える会の夏合宿時代を含めると25回目の全国合宿ですが、この大会は、誰でも自由に参加ができて、いろいろ考えあっていく、手づくりの合宿が開催できてきました。

 全国各地に親の会があり、多くのみなさんが力を合わせたからこそであり、いまはお会いしないけれど、10年、20年前の協力くださった人のおかげで紡げてきたと言えます。これは、私はやはり「おめでとう」に値することだと思います。世の中、多くの差別や苦しみがある。それに対し、当事者が立ち上がり、つながり、理解を広げ、安心して生きていける社会にしようとしてきました。それは「なぐさめあう」をこえて、新しい文化を生み出しているのです。不登校も同じことが言えます。

 今回、20回大会を記念して『支え合って生きる~登校拒否・不登校親の会20年全国調査~』という冊子を作成しました。それを見ると、親の会を続けて「よかった」と思うことの回答で一番多かったのが「悩んでいる人がだんだん楽になっていく」98%、つぎに「子どもの状況がよくなっていく」82%、「親子関係が改善」82%、こういう市民活動が草の根のように拡がって不登校・登校拒否を支えてきたんだと思います。そして、それは、子どもはいのち、いのちの側に立つという原点からの活動です。

 全国に親の会ができはじめた1980年代の登校拒否は、いまよりもずっとたいへんで、人間として見られないというか「首に縄を付けてでも戻す」という方針しかない時代でした。登校拒否の子の家には、学校の先生が毎日迎えに来て、「このままでは社会で生きていけないぞ」とか「進学も就職も結婚もできないぞ」とか言われ、あげく「廃人になるしかない」と言われた人もいました。

 首に縄をつけてでも


 毎朝、先生のお迎えがあったある女の子はたまらなくなって、ある日、隣の家の屋根に逃げ、さらにその家から飛び降りて足を骨折しました。彼女は私に「あのときは死んでもいいと思った」と話してくれました。トイレに閉じこもった小学校2年生の子に対し、教頭先生が鍵を壊して引きずり出したということもありました。その家のお母さんは、ご近所さんからも再三、いろんなことを言われて、一家心中しようと思っていたときもあるそうです。

 そういう時代のなかで、私の子も学校に行かなくなりました。やはり私も学校に行くのが当然だと思い、毎日、行き渋る息子を励まし、身体症状が出たときだけは休ませましたが、基本的には、なんとか学校に行かせようとしていました。そして、とうとう息子が拒食症になったんです。3カ月間、どんなに手を尽くしても食べてくれませんでした。子どもが何を拒否しているのか、何を訴えているのか、それがわかったのは児童精神科医・渡辺位さんとの出会いでした。渡辺位さんは息子と出会ったその日、その瞬間に、子どもの側に立たれたんだと思います。私にさんざん医者に引っ張りまわされて、医者不信だった息子が、はじめておにぎりを食べ、「僕は僕でよかったんだね、渡辺先生に会ってそう思ったよ」と言いました。心と体は一つだったのです。そこでやっと私も夫も、自分たちは子どもの存在を否定していたんだと気づかされました。私の命と引き替えでもいいから、食べてもらいたいと思っていたにもかかわらず、子どもの求めるものとズレていて、いのちの側に立つことができていませんでした。渡辺位さんは今年5月25日、残念ながら永眠されましたが、本当に幸運な出会いでした。


この記事は登録読者だけが閲覧可能な内容を含みます。続きを読むにはPublishers IDによる読者登録が必要です。