シリーズ・親の会「世話人に聞く」、第3回目は大岡桂子さん。大岡さんは現在、福島県にある親の会「ほんとの空クラブ~福島登校拒否を考える会」の世話人を務めている。ご自身のお子さんが3人とも不登校をした経験を踏まえ、子育てのなかで、学校への信仰を捨てきれなかった背景や親の会の世話人を長年続けている動機などについてうかがった。
――お子さんの不登校からお聞かせください。
1991年、小学校6年生だった長男が学校に行かなくなりました。最初はカゼだと思い、病院に連れていくなどしましたが、何ら問題なし。そんなある日、「不登校は長くなるよ、3年はかかるんじゃない」と知人に言われ、「じゃあ、私は3カ月で治してみせる」と言い切ったのが始まりでした。
まず、不登校の原因から探りました。長男の場合は担任教師の体罰がきっかけでしたから、担任との信頼関係さえ取り戻せば学校に行けるようになると思ったんです。そこで、学校側から言われるままに、面談の場で長男自身に自分の思いを担任に直接話をさせるなど、いま思えば、親として主体性のない行動で、長男にはひどいことをしてしまいました。
中学生になっても不登校は続きましたが、小学生のときのように登校を無理強いすることはしませんでした。とはいえ、「学校に戻ってほしい」という思いは心の底にずっとありました。自分の人生をふり返ってみても、「学校」に通わずに成長していくという道筋が私には見えなかったからなんです。「いつか、何かしらのかたちで学校に通ってくれるようになればいいな」と思い続けていました。
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