今号は、講演会「子どもの育ちを考えるうえで大切なこと」(主催・フリースペース「たまりば」)の講演録を掲載する。講師は浜田寿美男さん。子どもの育ちについて浜田さんは「たんに子どもの発達のみを論じるのではなく、子どもを取り巻く社会状況の変化も踏まえて考えるべきだ」と語る。いま、子どもの育ちにおいて何が必要なのか。まわりの大人は何ができるのか。
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子どもを支える実感"誰かに喜んでもらっている”
本日は「子どもの育ち」についてお話させていただきますが、そもそも「育つ」とはどういうことか、今日の子育て観・教育観から考えてみます。
おおかた異論のないところで大まかに整理すれば、「子どもは大人に『守られ』ながら、そのなかで将来必要な『力を身につける』」というところでしょうか。
しかし、この点にそもそも問題があります。『守られる』と『力を身につける』と分けて考えます。
まず、『守られる』についてですが、「いまの子どもは守られっぱなしになっていないか」と私は感じています。過保護うんぬんの話ではありません。大人と子どもの関係性があまりに一方的になりすぎていないか、という問題提起です。
1947年、私は6人きょうだいの末っ子として生まれました。
いまでもきょうだいがそろうと昔話に花が咲くわけですが、決まって話題に上るのは「子どものころは親にこき使われていたな~」ということ(笑)。
私の故郷は香川県小豆島。当時、小学生にもなれば、農家の子どもは鍬や鎌を持って田畑に出るのが当たり前ですから、親もこれといって子どもを褒めるなんてことはありません。それに、子どもは子どもで、不平不満を言うこともないんです。子どもも手伝わないと生活がまわっていかないとわかっているし、それ以上に「父ちゃんも母ちゃんも助かったと思って喜んでいるにちがいない」ということが、親の背中から子どもにきちんと伝わっていたからだと思います。
この「私は誰かに喜んでもらっている」という実感こそ、「子どもの育ち」を考えるうえで、非常に重要なことだと私は考えています。
上から目線の"褒めて伸ばす”
最近、「子どもの自尊感情が低下している」という話をよく聞きます。そのせいか、「子どもを褒めて伸ばす」という手法が注目され、関連書籍も多く出版されています。しかし、「褒める」という行為自体に私は違和感をおぼえます。それは上から目線ですからね。それに大人に褒められて素直に喜ぶのは10歳ごろまでで、それ以降の子どもを褒めるというのは、私たちが思っている以上に難しいことです。
では、自尊感情を高めるにはどうしたらいいのか。必要なことは、先ほどお話した「私は誰かに喜んでもらっている」という実感です。自分の行為で誰かが喜んでくれたという経験の積み重ねが、自尊感情を下支えする土壌になるのです。
ところが、私が子どもだった50年前と現在を比較すると、子どもを取りまく社会状況は大きく様変わりしました。子どもが自らの力を使って大人を助ける機会はどんどん少なくなっている、いやむしろ、奪われていると言っても過言ではないほどです。しかも、異常な犯罪が起きるたび、あたかも子どもが質的に変わってきたかのような言説が飛び交いますが、たかだか50年で、子どもが生物学的変化を遂げるなんてことはあり得ません。変わったのは子どもを取りまく社会状況であり、それが子どもの抱える生きづらさとも関係しているのだと思います。
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