不登校新聞

270号(2009.7.15)

私の”核”にあるもの 下村小夜子

2014年02月26日 12:00 by 匿名
2014年02月26日 12:00 by 匿名


 「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」は今夏で20回目と、大きな節目を迎える。そこで今号より、シリーズ・親の会「世話人に聞く」を掲載する。第1回は「千葉・休もう会」、「登校拒否を考える会・佐倉」の世話人である下村小夜子さんにお話をうかがった。

――親の会を立ち上げたいきさつは?
 きっかけは息子の不登校。88年息子が小学校2年のときでしたから今年で21年目になります。やっていて難しいと感じるのは、学校にこだわっている親御さんの気持ちも否定しないことを伝えながら、子どもさんが休めることの必要性をいっしょに考えていくこと。また例会や通信など「これでいいのか」と悩むこともしょっちゅう。それでも親の会を続けてきて、楽しかったことのほうが圧倒的に多いですね。というのも、そもそも私は親の会の視点が好きなんです。親の会では「人間の存在そのものを尊重する」という考え方、いわば文化といえるものがあると考えています。今の社会は、誰もが能力を高め、より多く稼がねばならないという自己責任論で追い詰められていると思います。そのなかで、自己責任ではなく社会の問題をきちんと検証する親の会の視点はとても重要だと感じています。

――20年の活動のなかで親の会の参加者の意識に変化は感じられましたか?
 10年ほど前から医療に関わる人が増えているという感はありますが、親の悩みの多くが子どもの"今”よりも"将来”を案じてのことだという点については、今も昔もそれほど変わっていないのだと思います。また、新しい方からの問い合わせなどで子どもがどうこう以前に親御さん自身の病気や生活の困難さでギリギリという方のお話を聞くことも増えたと思います。そんな場合、あくまでもその方のご苦労も尊重したうえで子どもさんのことをいっしょに考えていきたいと思っています。

 "将来”といえばわが家でもこんなことがありました。息子が17歳ごろ、アトピーが激しく悪化し、精神的にも最悪だったころ、「自分はもう終わりだ」と言って、ソファーに倒れこんだことがありました。そのときは"将来”などぶっ飛びました。大ピンチ。命がけだと思いました。私はただひたすら息子の背中をさする事しかできませんでした。苦しいときこそ"今”が大事。"今”しかないと思います。
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