不登校新聞

269号(2009.7.1)

【公開】静かな革命 奥地圭子

2014年02月26日 16:50 by 匿名
2014年02月26日 16:50 by 匿名


 白衣を着た渡辺位さんと初めてお会いしたのは、1980年12月、千葉県市川市にある国立国府台病院の一室だった。

 その日、私は、登校拒否となり拒食症でやせ細ったわが子といっしょだった。私はソファの端でじっと聞いていた2時間だったが、混乱状態にあった2年半、子どもは、一度もこんなに心をひらいたことはなかったという話しっぷりだった。終わって息子は「羽根がはえたようにいい気分だ。お腹がすいた。おにぎり食べたい」と言ったのだった。あの明るく広い渡辺ルームで、おだやかな眼差しと端正な座り方で向き合ってくださった先生の姿をいまもくっきり覚えている。

 息子は、その日以来、普通食に戻り、重要なことを言った。「僕は僕でよかったんだね。渡辺先生に会って、そう思ったよ」。

 私も夫も、子どものために、とやってきたことが、じつは存在を否定していたのだと気づけたのだった。そして、子どもを受けとめ得なかったかげに、わが内なる学校信仰や常識・建て前を子どもよりも優先して考えている自分を発見していくことになった。

 あの日から28年あまりの月日が流れた。病院のなかの親の会「希望会」で学び、その後「登校拒否を考える会」をつくり、「東京シューレ」を開設し、不登校に関係するさまざまの全国的な活動を展開していくことになった。そのなかで、渡辺位さんは、つねに本来の意味の"師”であった。そして、同時に伴走していただいた。渡辺位さんとの出会いがなければ、このような流れはなかっただろう。登校拒否の息子のおかげである。

 渡辺位さんから幼少期に育った韓国の話をたまにお聞きした。忘れられないのは、4歳のとき、家の前の坂を見ながら「僕は僕だ」と思ったそうだから驚く。病弱だった子ども時代、学校を休むことも多く、愛情深いご両親のもと、家で読書やラジオいじりなど好きなことをしてすごされた。長じて、戦争に行かなくてすむ方法を考え、精神科医になられる道を選ばれたそうである。

 戦後の復興もまだまだの昭和20年代、勤務先となった国府台病院の児童精神科医療の充実にめざましい活躍をされたのみならず、当時まだ確立されていなかったわが国の児童精神医学の樹立にも大きな貢献をされた。つねに、クライアントの立場に立ち、医療の革新に向けて主体的に動かれ、学会改革にも乗り出された。

 とりわけ登校拒否・不登校において、渡辺位さんは静かな革命をもたらされたと思う。

 原点は命。「登校拒否は、命としての子どもが、この制度や価値観のなかで表している自己防衛、危機回避の反応。学校にこだわるのではなく、子どもの心によりそい、命の営みが安心してできることこそ大事」という認識は、多くの子ども・若者・親を支えてきた。

 91年、定年退職された時以来、東京シューレでは、親ゼミと個人相談を毎月、お願いしてきたが、亡くなる10日前までお越しくださった。晩年は、白内障、不整脈、ガンなどとつきあいながら、おつきあいくださったが、生きることのすばらしさと深さを実感させていただいた。お人柄も、権威を排し素朴で、とても物を大切にされた。駅からシューレまでごいっしょに歩いた10日前が、生前の最後となったが、小さなビニール袋を一つお持ちの立ち姿に、ふと現代の田中正造だと感じた。これから自分がどう生きるか、私たちがいただいた課題はとても大きい。(本紙理事 奥地圭子)

(わたなべ・たかし)1925年~2009年。元国立精神医療センター国府台病院児童精神科医長。1952年以来、多くの子どもたちに共感しつきあう過程で、登校拒否は個人病理ではなく、学校を含めた社会全体への子どもの防衛反応であることをいち早く世に訴えた。1971年には病院内に親の会「希望会」を創設し、83年にその活動を出版。つねに子どもの側に立ち、亡くなる直前まで各地の親の会で講演や公的機関の相談を務めるなど幅広く活動した。最後の講演は登校拒否を考える会25周年の集い「親の会25年に思う」(同会通信に全文掲載)。主な著書は、『登校拒否・学校に行かないで生きる』(83年刊/太郎次郎社)、『不登校のこころ』(92年刊・教育史資料出版会)、『不登校は文化の森の入口』(06年刊/東京シューレ出版)など。

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