連載「記者コラム」


 記事を書くうえで、つねに意識していることがある。「道は一本ではない」というメッセージを発信し続けることだ。しかし残念ながら、八方ふさがりだと思い込んでしまう子どもの悲劇が後を絶たない。最たるものが「いじめ自殺」だろう。
 
 私は1980年生まれ。1994年、いじめを苦に自殺した大河内清輝くん(当時13歳)と同年齢だ。
 
 あれから20年。私は「いじめ自殺」を報道する側の人間になった。「いじめ自殺」に関する裁判が起きれば、訴状や答弁書を読み込み、裁判傍聴にも可能なかぎり足を運ぶ。その一方、「いじめ自殺」はなくなるどころか毎年のように発生している。
 
 印象深い取材がある。「大津いじめ自殺」が世間の注目を集めていた2012年8月31日、いじめ・不登校の経験者6人が平野博文文科相(当時)に面会するというので、同行取材したときのことだ。
 
 ある子は泣きながら、ある子は緊張に震えながら、「いじめでつらいときは学校に行かなくていいと発信してほしい」と直談判した。面会後、参加者の一人は「自分に存在価値はないと思っていた。いつも死にたいと思いながら学校に通っていた」と、当時の思いを私に語ってくれた。


平野博文文科相(当時)に面会するようす


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