連載「不登校の歴史」
東京シューレ25周年で子どもたちが取り組んだ映像作品は、全国各地で上映され、その回数は50~60回に及んだ。親の会、フリースクール、不登校に関する講演会やシンポジウム、NPOや市民活動団体、大学の授業、教員や民生委員の研修会などで多くの人に観ていただき、不登校理解に大きな力をはたしたと思われる。というのも、映画は、子ども自身の企画で、子どもたちの手でつくられたがゆえに、子どもの気持ちがよくわかり、見る側もいつのまにか子ども側の視点に立って考えられるようになるからだろう。不登校について、大人側から描いた作品はこれまでもいくつかあるが、不登校の子ども自身がつくったものは希少であるし、不登校の歴史上も意義深いと思うので、制作過程と作品を紹介しておきたい。
そもそも、なぜこの取り組みが始まったかというと、25周年事業への助成金で、映画づくりに必要な機材が購入できた、というのがきっかけだった。
機材が購入できることがわかり、これまで映画づくりをしたかった子たちが定期的に話し合いを持つようになった。当初は東京シューレ王子と東京シューレ新宿の2スペースから10数人が中心。のちにほかのスペースの子たちも巻き込むようになっため、「映画製作委員会」と名づけられ、毎週、定期的な集まりが行なわれた。完成までは1年2カ月が、かかっている。
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