今回は1月11~12日のJDECにおいて、講師に汐見俊幸さんを招いて行なわれた記念講演「子どもから出発する教育」の抄録を掲載する。
「子どもから出発する教育」について、まずは日本の学校が生まれた歴史的経緯からお話したいと思います。
江戸時代後期、庶民の子どもたちは、いわゆる「寺子屋」と呼ばれる手習い所で読み書きそろばんを学んでいました。月謝が払えないときは「先生、今月はこれで」と、大根3本持って親がやってくることも多々あるなど、あたたかみのあるやりとりが許されていた学びの場です。
そこで使われていた教科書を「往来物」と呼びます。これは往復書簡、つまり手紙のことです。子どもたちは商売上での手紙などをベースにつくった教科書を通して、「実生活に基づいた知識」を学んでいました。その「往来物」はこれまで5000点以上も見つかっています。つまり、江戸時代にすでに庶民は多様性に富む独自の教育システムを持っていたのです。
その後、明治維新が起こり、政府によって1872年(明治5年)、日本で最初の学校制度を定めた教育令が出されました。その際、「寺子屋」はどうなったと思いますか? 国はいっさい「寺子屋」を学校とは認めず、新たな公立の学校を築こうとしたのです。結果、「寺子屋」で教鞭を取っていた人々の多くが職を失い、その人たちが各々で私立の学校をつくることになりました。つまり、明治初期には、政府が学制のもとに定めた公立学校と、「寺子屋」の教師たちが中心となって築いた私立学校という、2つの学校システムが並立して存在したわけです。当時、公立学校では月謝を納めなければならないため、貧しい家庭の子どもは私立学校に通いました。
教える内容についても、両者ではまったく異なっていました。ここに、明治政府が「寺子屋」を学制に基づく学校に昇格させなかった大きな理由があります。
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