はじめまして。田場と言います。人間に生まれて24年経ちますが、いまだに生きることに慣れません。それなのに死ぬことが怖くてたまらないので、しかたなく生きています。不登校になったとき、私を崖っぷちから突き落としたのはいじめっ子ではなく、「学校に行きなよ」というまわりの善意でした。
 
 いままでたくさんの子どもがいじめを苦に自殺してきました。報道されることはあるもののトップニュースにはなりませんでした。イジメられた子を殺したのは、黙認し続けた自分を含む社会でもあります。大津の事件もメディアと視聴者の好奇心の餌食になっただけですぐに飽きて忘れられるでしょう。残念ながら自殺しても、世界は何も変わりません。いじめていた人もすぐに忘れてしまうでしょう。だけれども、今回の大津の彼が不登校を選んでいたらまわりはこんなに興味を示していたでしょうか。

 不登校を経験して大人になる道はまだ世間的認知が低く、親や周囲は瀕死で戦場から生き延びた子どもをまた戦地に送り返そうとします。リストカットや自殺未遂という心を傷つけられたうえに自ら体に傷をつけてまで訴えなければ「生きててくれるだけでいい!」という原点に気づいてもらうことは難しく茨の道です。

◎そのサバイブに健闘を

 本来刃を向けるべきは血が流れないと気づけない鈍感な周囲なんです。訴える、そんな気力もないほどまでに疲れてしまったら「今日の遺書」を書くのも手かもしれません。私も先日、書きました。「今日でこの苦しみは最後なんだ」、そう思うことで少し楽になるんです。危険を伴う行為ですが、肉体的苦痛は精神的な苦痛を和らげることがあります。私には心から血を流しているキミに「生きて」なんて残酷なこと言えません。「いま」をサバイブするキミへ、健闘を祈ります。(子ども若者編集部 田場寿子)