当時、知覧中三年生だった村方勝己君がいじめによる自殺をした。勝己君は、あしかけ二年にわたって執ように暴行を加えられ、恐喝されていた。勝己君はこのいじめに絶望した。

 勝己君は、ほかの多くの子どももそうであるように、いじめから逃げる方法を知らなかった。毎日暴行を加えられ、パシリにされ、それに必死に耐えた。学校の教員はだれも勝己君を救おうとはしなかった。グループの少年たちは、被害者やまわりの子どもたちが、絶対学校に訴えないことを知っていた。教員も見てみぬふりをした。担任は、学校では有名な体罰教師で、勝己君を殴っていた。

 勝己君は生き地獄と化した「学校」に毎日行きつづけた。勝己君は、学校を拒否することが、「いじめからの生還」であることを知らなかった。死の直前、たった四日間だけ学校を休んだが、「無断欠席」が担任から連絡され、翌日が勝己君の最後となった。

 いま、勝己君のご両親である村方敏孝さん、美智子さんは、一年半にわたる独自の調査を終え、提訴している。ご両親にとって、調査のなかで初めて聞くすさまじいいじめの事実はまさに拷問にひとしかったと思う。

 「私たちの苦しみを知らず、何も、守ってやれずに孤独のまま逝かせてしまいました。あの日、あのとき、と思い出しては、自分たちを責める日々です。」村方さんが提訴したときの一文である。わが子のいのちを守れなかったとだれよりも自分たちを責めている。しかし、「学校、加害生徒はすべての事実を話してほしい。そうすることが、学校にとっても、加害生徒にとっても、ほんとうの意味での謝罪ではないでしょうか」とつづく。

 情報を隠蔽した学校と、残酷な暴行に口を閉ざしたまま大人になっていこうとする加害生徒たちをこのまま許すことはできない。

 私たちは、九四年から、鹿児島で自死した七人の子どもたちのご遺族から話をきいてきた。村方勝己君をはじめとして、いのちを自分で絶った子どもたちにたいして、学校はなにもしなかった。学校は子どものいのちを守るところではない。教員のほとんどが、「問題は家庭にある」と思っている。それがほとんど信仰にまでなっているから学校には責任意識がない。この考えからきわめて深刻な結果をもたらす。すべてが家庭の責任とすれば、学校から情報を与えられない親たちは、どうわが子を守ればよいのだろうか。

 先日の第一回口頭弁論には、鹿児島地裁の一番大きな法廷の傍聴席がうまった。登校拒否を考える親・市民の会の会員や子どもたちがかけつけた。「学校から生還」した子どもたちである。他人ごとではない。明日はわが身だったのだ。

 私たちは、この一〇年間、こども達の声をもっとも大切にしてきた。いじめ、体罰など子どもたちの人権が侵害されたとき、徹底的にたたかってきた。

 子どもたちの「声」のなかにこそ答えがある。明るい未来があると思う。(鹿児島通信局)

子どもの人権を守る鹿児島連絡会 事務局長
登校拒否を考える会・市民の会・世話人
内沢朋子