11月9日、シューレ大学の公開イベントが行なわれた。講演は作家の高史明さん。高史明さんは、シューレ大学の学生の要望を受け、在日2世として、息子を亡くした親として、深く問い続けた『自分という存在』について語られた。

 いま100年に一度と言われる非常事態、金融不安が毎日のように報じられています。この厳しい事態のなかで、お話をさせていただくということは、難しいテーマを抱えたと思っています。

 「100年に一度」と切り出して、まず私の頭のなかに思い浮かんだのは、ほぼ100年前の1910年の朝鮮併合です。朝鮮人は、このとき家庭を壊され、国を砕かれたのでした。私の両親や多くの人たちが、日本へと移動、あるいは拉致されてきました。その数は、正確にはわかりませんが、1945年の敗戦時で200万人以上、ロシアのほうにも200万人ほど流れたと言われています。いわば流民の両親のもとに私は生まれました。

 そして私が生まれる前年には満州事変が起きまいた。幼少期、私が見た戦争はさんざんなものでした。下関市の関門海峡には、毎日のように機雷攻撃があり、街は黒こげになり、人はやけぼっくりのような死体になっていった。それが私のよく見た戦争です。しかし、先日、自衛隊の元航空幕僚長が、日本は侵略戦争をした事実がないなどといった論文を発表していました。この前の総理大臣は「戦後体制を切り替えましょう」という発言を再三くり返していました。こんな発言がされてしまうのが現状です。それだけにいまを生きていることの根っこをしっかりと見据えなければならない、そう思っています。

 「僕は死なない」と言ったが



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