わが家の長男が登校拒否をしたのは一九七八年のころである。転校先の学校に行こうとすると腹痛、頭痛、吐き気をもよおし、休むと元気になり、元気になるから登校を促すと、数日したら、また、前よりもっと体調が悪くなって長く欠席する、という状態をくりかえした。そして、本人が小五になっていた一九八〇年秋、運動会に備える日々を猛烈にがんばって登校し、拒食症にしてしまうという苦い経験をすることになった。さいわい、子どもは、当時児童精神科医師であった渡辺位氏(国立国府台病院勤務)との出会いから元気になり、私も夫も目のウロコをとられ、内なる学校信仰、会社信仰に気づいていくことになる。

 そして、国府台病院内親の自助グループの「希望会」、だれでも参加可能な主として不登校の子の親が集まる「登校拒否を考える会」、学校外の子どもの居場所「東京シューレ」、各地の会や居場所を結ぶ「登校拒否を考える全国ネットワーク」などに主体的にかかわってきて現在にいたっている。

 考えてみれば、二〇年のあいだ不登校とかかわりながら、すっきりしないことがいっぱいある。なぜ不登校を心の病とみるのか? それは、いつ、どこからそのような見方になったのか? なぜ不登校だと怠け、逃避、社会性欠如とみるのか? なぜ不登校は、親の育て方の問題とされてきたのか? なぜ不登校だと病院や施設に入れられるのか? なぜ不登校だとコンプレックスをもたされるのか? なぜ学校は休んだらいけないのか? なぜ保健室登校や個室登校というかたちでもいいから登校を期待されるのか? なぜ学校に行く子には手厚く公的なお金が使われても、不登校には一円も公的資金が出ないのか……きりなくある疑問である。

 不登校の原因、態様、メカニズム、解決や克服の道などについては、おびただしい研究がなされてきた。主として、大学や学会、文部省や教育委員会、学校、医療機関や相談機関を通して、専門家から学生、教師など、冊子や紀要、雑誌や単行本まで入れると、教育関係のなかで、これほど関心を集めたテーマ、それも一時的ではなく、長いあいだ続く研究テーマもめずらしい。いいかえると、不登校の子どもたちは、たえず研究対象であり、それで飯をくってきたという人たちもけっこういると思う。研究を否定する気はないが、その研究は一体だれのための研究だったろうか。

 東京シューレには、開設初期から、多くの学生が訪れるため、卒論や修論、ゼミレポートなどをまとめる材料を提供してきたし、また、ともに考えあってもきた。その過程で、大学という真理探究のための研究の場が、不登校についていえば、研究者の価値観や都合が優先され、当事者の子どもや親にとって意味をもつ研究は、さほど行われてこなかったという印象をもっている。最近、不登校の子に接する人が増え、専門家や行政も認識が変わってきた部分もあって、やや状況は変化してきていると思うが、「え、こんなひどいことを大学で教わってるの?」と驚くような教科書も学生さんから見せてもらったし、私自身が参加したある学会の発表論文のほとんどが、まず不登校を問題行動と設定し、治療や訓練の対象として当然というものが多く、がっかりして帰ってきた経験もある。

 そして、大学を出て教師となり、大学を出て相談員となり、医師となりして、不登校の子どもや親と、今度は「先生」として向きあうわけだが、そのもとになっている不登校観、教育観、子ども観は、大学ないし大学まででつくられたものであるから、ことは重大である。

 学歴社会の弊害が指摘され、学校の肥大化と荒廃がだれの目にもはっきりしてきている時代に、不登校の子どもや親が、まだ解放されず、苦しまなくてはならぬ状況とは何だろうか。いま、私たちは従来の不登校のとらえかたや研究にしばられず、当事者の立場を大切にしながら、苦難の歴史をひもとき、事実を探求し、偏見や差別の根っこを明らかにしていきたいと考えている。いったい、何が真実なのだ、と。

 そんな気持ちから、この「不登校の歴史」欄はつくられる。毎号連載の予定であるが、従来の一般的研究スタイルであった、いろんな研究者の論文を集めて年代的に検討するような方法はとらないつもりでいる。そういうことも必要な部分もあろうが、私たちの手法は、できるだけ、不登校の経験者やその親、かかわった人々の生の話や、手記、親の会の記録などを軸としながら、歴史を明らかにしていきたい。そのなかで、考えたいこと、知りたいことが出てきたら、そこをまた、つっこんでみる。そのためには、この人に会おう、こんな本をみてみよう、こんな調査が残っているのをみよう、というやり方になろう。それを読者のみなさんからの情報提供や意見、疑問を受けながら、この欄を書いていきたいと思っている。とりあえずは、五〇年代、六〇年代、七〇年代の古いお話をおもちの方のご連絡をお待ちしたい。(奥地圭子)