不登校新聞

389号 (2014.7.1)

第5回 居場所創設者は00年代の地殻変動をどう捉えたか

2014年06月26日 17:46 by kito-shin
2014年06月26日 17:46 by kito-shin

シンポジウムのようす。写真左から中村尊さん、江川和弥さん、中村和子さん、亀貝一義さん

連載「フリースクールの30年史」

 今号の「設立者がふり返るフリースクールの30年」は、00年代の各フリースクールのようすが話された。

 東京シューレ 奥地圭子さん(司会)

 
 00年代は不況から10年が経ち、フリースクールはもちろん社会全般にとっても難しい時期に差しかかったと言えます。ひきこもり、ニートの社会問題化、派遣社員などの雇用不安定化、ゼロトレランスに代表される厳罰化、発達障害、精神疾患をはじめとする医療の広がり。不登校の子をめぐる状況としては、02年の不登校調査研究協力会議以後、登校圧力が強まり、すごく苦しい不登校の子と元気な不登校の子が二分化するような流れもありました。私たちの「東京シューレ」で大きかったのは、06年の東京シューレ葛飾中学校開校。特区制度を活用し、子ども中心の公教育を市民の手で創りだしました。みなさんの00年代はどうだったのでしょうか?
 

札幌自由が丘学園 亀貝一義さん(北海道)

 
 多くの子が私たちのフリースクールを訪れ、元気になって高校へ進学していく。うれしい反面、経営の厳しさを一生懸命、考えざるを得なかった時期だと思っています。こうしたなかでフリースクールに通う高校年齢の子どもたちの学びの保障、一方では経営保障という意味で、01年から通信制高校との提携を始めました。フリースクールに通いながら、高卒資格を目指していく場にしていこう、と。その思いは09年、特区制度を活用し、自分たちで通信制高校をつくることにもつながっていきました。私はフリースクールを事業として、どう持続的に発展させていくか、ここを一番の問題意識として持っています。札幌には1500人以上の不登校の子がいて、全国には11万人います。いわばフリースクールが市場に成立する条件があります。そして内容的、つまりフリースクールの人間教育は、必要だと私は感じています。ならば、まじめにまともに深刻にフリースクールを事業として継続・発展させることをもっと議論できないかと思っています。
 

ForLife 中林和子さん(兵庫)

 
 00年代前半は医療の領域に入る子どもたちも含め、私たちのもとを訪れる子が増えました。印象的だったのは2000年の世界フリースクール大会。多くの不登校の子は最初「自分はひとりだ」と思います。ところが居場所に出会い、ほかの不登校の子に出会う。そしてこの世界フリースクール大会では「不登校は日本だけの問題じゃない、フリースクールは世界中にある」と思ったことは、子どもがとても元気になるきっかけになったからです。私たちのフリースクールのほとんどの子が世界フリースクール大会には参加しました。
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