本紙10周年記念号で特集した座談会「不登校をめぐる10年」についての投稿が8回続いた。お書き下さった方々にはお礼申し上げたい。なかには、司会を務めた山下耕平氏も登場しており、私も座談会の関係者であるが、投稿が切れたところで、投稿させていただいた。

 本音を言うと、やっと10年。やりたいからやってきたとはいえ、そして多くの人の力で続けられたとはいえ、並なことではなかった。その記念すべき10周年号で、私が牙を丸くされ、権力のコントロール下に入ったと言われたのは衝撃であり、生涯忘れないだろう。もちろん、意見は自由であるが応戦せざるを得ず、あの座談会は10周年号にふさわしかったか今も疑わしい。不登校を権力や世間が否定する社会にあって、子どもの人権を守るため、市民活動が何をひらいてき、これから何が必要なのか、とりわけ今、子どもたちに何が大事なのか考えあう場としたかったのに残念だった。企画の責任は私にもあり、反省している。ゲストのお二人にも失礼だったかもしれない。

 ところで、座談会およびこれまでの投稿で、いくつかの論点があり、一度に取り上げられないので、今回、「教育に多様な選択」を求めている点で、私の考えを述べたい。

 多様な教育を求める理由



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