シンポジウムのようす。写真右から、宗東博文さん、池本恭子さん、司会の本誌編集長の石井志昂。
6月28日に本紙主催の講演会を山口県で行なった。今回は同県在住の当事者2名のインタビューを掲載する。インタビュー1人目は宗東博文さん(38歳)。不登校してつらかったこと、親になってみてわかったことなどをお話いただいた。聞き手は本紙編集長の石井志昂。
――不登校してからこれまでの経歴を教えてください。
15歳ごろまでは無遅刻無欠席の優等生でした。でもそれは無理してがんばっていただけだったので、精神的な症状がいろいろ出てしまったんです。なので病院に通い、カウンセリングを受けながら学校に行っていました。
ある日、おなかがすごく痛くなって1日休んだんです。それから少しずつ学校を休みはじめました。中3からは学校にほとんど行かなくなりました。
その後、定時制高校に行ったのですが、同世代のみんなと同じような青春を味わいたくて、1年後に全日制高校に入りなおしました。その後、看護学校に入り、今は障がい児施設の看護師をしています。また小4の男の子と4歳の女の子の父親です。
――不登校をして一番きつかったころはいつですか?
不登校した直後ですね。母は教育ママだったし、父はスパルタだったので、2人ともたいへん怒りました。毎朝、父親に殴られ蹴られ、母親に布団タタキでたたかれ「早く行け!」と言われました。その時期が一番つらかったですね。
――そんなつらい時期をどう乗り切ったんですか?
はじめは親もガンガン学校に行かせようとしていたんですけど、時間がたつとあきらめてきたんですね。母親も親の会などに行き、少しずつ考え方が変わっていきました。また、一番支えられたのはおばあちゃんの言葉ですね。朝、親からの殴る蹴るが去った後に寝ていると、昼ごろにおばあちゃんが自分の枕元に来て、ため息をついて、そのあと「せんないことじゃのお、生きちょりさえすりゃ、なんとかなるからの」と毎日言ってくれたんです。それが今でも支えになっていますね。
宗東博文さん
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