不登校新聞

391号 (2014.8.1)

不登校その後 親になってわかったこと

2014年07月31日 11:28 by kito-shin
2014年07月31日 11:28 by kito-shin


写真右から、宗東博文さん、池本恭子さん

 当事者インタビュー2人目は池本恭子さん(38歳)。不登校当時、支えになったものなどについてお話をうかがった。

――不登校してからこれまでの経歴を教えてください。
 学校にまったくいかなくなったのは中学3年生のときですね。もともと家にいても学校にいても「私の居場所がないな」と感じていました。それでも家にいるよりは学校に行ったほうがまだマシだ、と思って中学2年生のころは遅刻しながらも学校にはいっていました。
 
 ところが、中学3年生の運動会のあとで、体がどうしても学校に向かなくなってしまったんですね。そこからはいっさい学校には行っていません。その後は通信制高校に在籍し、卒業はしていないんですが、大検の資格(現・高校卒業程度認定試験)を取って、保育の短大に行きました。その後、大学に編入し、今は社会福祉士として働いています。また双子の男女(小学2年生)と幼稚園児の男の子の母でもあります。

――不登校をして一番きつかったころはいつですか?
 精神的に一番つらかったのは、中学を卒業したあとですね。中学のころは「不登校児」だったのに、中学を卒業すると「不登校児」ですらなくなってしまう。「じゃあ私ってなんなんだ?」と、自分の価値がわからなくなったんです。アルバイトをしてもまったく続かないし、まともな社会生活を送れていない。「このまま生きててもいいのかなあ」と、すごくつらい時期でした。
 

私、生きていていいのかも…

 
――そんな状態のなか、支えになるものはありましたか?
  いま思うと、いろいろなものに支えてもらいました。とくに学校の養護の先生。学校にまったく行かなくなったあとでも、保健室だけは「学校」という感じがしなくて、裏から「やあ」って入ったりしていました。養護の先生はビデオや本を貸してくれたり、いろんな相談に乗ってくれました。

 

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