昨晩NHKで長崎の特集をしていて、思わず涙しました。「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」というドキュメンタリー。じつは、佐賀合宿の前に5人で長崎にも寄って観光し、原爆資料館や、テレビで紹介された「ジョー・オダネル氏の写真展」なども見てきました。
原爆資料館では 小4で被爆したボランティアガイドのおじさんが話をしてくださいました。写真展のなかには、小さい弟(死んでる)を背中におんぶして、口をへの字にして、どうしようもない悲しみに耐え、直立している男の子の姿など。じっと見ていると、心に迫るものがありました。
その時期、佐世保に原子力空母が来ていたので、原爆資料館や町には外国人たち(アメリカ兵かも?)があふれていましたが、彼らはどういうふうに受けとめたのでしょうか。
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