今年の8月15日号企画は、教育学者・大田堯さんと哲学者・高橋哲哉さんの対談「今、教育は」(主催/「大田堯・映画とトークの集い」実行委員会)を掲載する。
高橋哲哉さん(以下・高橋)
今日は、みなさまにお時間をいただきまして、大田堯先生とお話させていただきます。
最初に一言、お断りをいたしますが、先生から「先生と呼ぶな」と言われました(笑)。なので、「大田さん」と呼ばせていただきます。
大田堯さん(以下・大田)
ありがとうございます。
高橋 さて本日のお身体の調子はいかがでしょうか?
大田 いや~、よく生きていたな、と。今日の日を気にしながら1日1日をすごしてきました(笑)。
高橋 ええ、しかし今日で終わりというわけではありませんので(笑)。これからも私たちを励まして、私たちの光になっていただきたいと思っています。
さて本日は『自撰集成』(藤原書店)の発行をお祝いする会のみならず、みなさんと日本の現状、とくに安倍政権下の現状について「憂いを共にする会にしたい」とうかがっております。まずはその憂いの所以をお聞かせいただけますでしょうか?
大田 そんなメッセージを出した覚えがないんですよね、誰かが書いたんでしょう(笑)。
しかし現在の状況は、まるで春の訪れを待つ「早春賦」のような気持ちでおります。と言いますのも、かつて「曙の時代」がありました。戦争が終わり、貧困と飢えのなかではあったけれども、これからは戦争をしない、武力を持たない、一人ひとりの人権、命を大事にしていこうとした時代です。あのときにつくられた日本国憲法は、当時の世界情勢の志を示したかのような憲法でした。そして、それは同時に国連憲章やユネスコの精神にもつながっています。
◎ 教育基本法と集団的自衛権
高橋 私は戦後生まれですが、当時の方々の思いに触れると並々ならぬものを実感します。大田さんとお会いしたのは10年ほど前。ちょうど第一次安倍政権において「教育基本法(以下・教基法)」の改正が持ち上がっていたときです。
そのとき、安倍政権は個人の尊厳を基本としてつくられた教基法に「愛国心教育」を盛り込み改正しました。そして現在はさらに教育再生実行会議などで新しい教基法の現実化を推し進めています。
それと同時に、戦争への危険性がリアルな可能性として見えてきたのが、今回の集団的自衛権の閣議決定です。
大田 教基法の改正は、愛国心教育もそうですが教基法第10条の改正に大きな意味がありました。行政は教育に介入せず、条件整備に精を出しなさい、と教基法は定めていました。それを改正時にバッサリと切ってしまい、逆に盛り込んだのは上意下達の教育です。上の思いが下の隅々まで伝わるような道筋をつくったわけです。
最初に教基法改正案を聞いたとき、「これは参ったな」と思いました。というのも、私は天皇絶対主義のなかを生きた人間です。一兵士として戦争にも行きました。戦争体制というものをつくりあげた柱は教育と軍隊です。天皇絶対主義は教育と軍隊の二本柱で支えられていたのです。
戦後、その反省はなされましたが1950年の朝鮮戦争が始まると、たちまちに軍隊ができ、教育に対しては教科書の検定を強化しました。以後、教育と軍隊は非常に密接な関係のなかで強化され、今日の集団的自衛権の問題にまで発展してきました。
高橋 私も教基法改正の際に考えたのが、一つの国が戦争をしようと思ったとき、ただ軍隊があるだけでは足りないのだな、ということです。
現在、自衛隊を国防軍に変えるとか、関連する法律を変えるとか、そうした案が出ていますが、それだけでも足りません。国民の意識、憲法を含めた社会システムは戦争を支えるかたちにはなっていません。
読者コメント