不登校新聞

350号(2012.11.15)

「私たちの不登校、その後」須永祐慈

2013年07月05日 17:26 by kito-shin
2013年07月05日 17:26 by kito-shin

新たな生き方のきっかけ



 「私の不登校、その後」というテーマをいただき、ふり返ってみたが、私の「その後」を区切るには、少し難しさがあるなと感じてしまった。それは、私自身が”学校に行かない”という生き方の延長線上に今も立っていると思うからだ。
 
 小学校4年生でいじめを受け学校に行かなくなった私は、2年半のひきこもり後、フリースクール東京シューレへ通った。18歳で退会(卒業)し、1年ほど短期アルバイトや友人との冊子制作の後、シューレ大学の設立に参加、学生として探求してきた。25歳から、縁あって出版社設立に誘われ、そこで働く場を得て、企画から編集、レイアウトデザイン、進行、電子書籍まで、さまざまな仕事を試行錯誤のなかで身につけてきた。

 そんなこれまでをざっくりと整理すると、10代は私の居場所をどう確保するか、20代前半は、私の不登校経験をどのように深めるか、活かしていくか、20代後半は、自らがどのように働いていくか、そのなかで生き方をどう切り開くか、そして現在は、自分の生き方をつくりながら、どのように食べてくのか、といったところにあるだろう。
 
 そこには "学校に行かずに生きてきた私”の一本のスジがある。また積み重ねてきた学校に行かない生き方の経験、そこから深めて見えてきたものが、現在の社会の生きづらさや不安に重なってきていると思う。
 
 いま、考えることは、私たちが安心して働いたり活動したりして生きていく方法を、どのようにしたらつくり続けられるか、である。
 
 すでに「当事者研究」と呼ばれる動きや、脱原発をめざす運動、貧困や孤独、環境に関する運動など、さまざまな新たな活動や生き方をつくる流れがあり、私もそれに触れてきた。これまで、生き方を開拓してきた人たちがいる。それだけでも心強いものがある。その人たちの生き方を参考にしながら、自分の経験を重ね合わせて、つながりや発信を続けていきたい、そんな思いを私は持ち続けている。
しかし一方で、目の前にある問題として、多くの人が直面しているように、どう食べていくのかにも直面している。そして、親との関係や、結婚や仕事、社会一般にある価値観など、さまざまな不安もついてくる。
 
 だがその不安は、新たに生き方を見つけるきっかけとならないか、と思う。私たちは喜怒哀楽のなかで生きている。日常から見えてくる小さな気づきの積み重ねのなかに、いまを生きるためのヒントが隠されているのではないか。
 
 私の"不登校その後”には、私は私であるということ、私はこの場で生きている(生かされている)こと、生きる根底を確認することによって私がある。それが私の原点であることを改めて思う。

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