ひとつは「扶養」の問題、そして家族の問題だ。このたびの会見やら報道やら、「研究者」がそんなことではいけないとは思いつつ、私はげんなりというか、いたたまれないという感じで、ほとんど何が起こったのか知らない。知らないようにしていた。ただ(今回は)(まずは)金のある人の家族が生活保護をとっていた(けしからん)ということのようだ。
法律にはたしかに「扶養義務」というものがある――私はそれ自体に異論があるのだが、そういうことを言い出すと「現実」からどんどん離れていくので、本を後で紹介するだけにとどめる。ただ生活保護法の場合「世帯単位の原則」でやるということになっている。「世帯」というのは「家族」とはちがって、「実際に同一の住居で起居し、生計を同じくする者の集団」のことを言う。だからこの条件を満たさなければ、つまり「世帯分離」しているなら、親(他)に金があっても生活保護は得られる。私はこれはまずはきちんと使った方がよいと思うし、実際、そうして親がかりの暮らしから離れた生活を始められた人たちを私は幾人も知っている。家族に――もっと言えば家族であろうとなかろうと――経済的に依存「せざるをえない」ようになっているなら、それはその人に支配され従属せざるをえないことにもなりうるのだから、それはよくない。すくなくとも、たがいに大人になったら、別々にやっていけるように、「制度」としては、なっていることが望ましい。
こういうことを言うと、それは「家族の美徳」を汚すとか減らすとか言う人がいる。美徳は言葉の定義上よいものであるから、私はそれを否定しない。そして、たがいが経済的に独立する(できる)ことが、美徳を減らすと思わない。経済的な支配・従属、あるいは相互依存がないと保たれないような関係はよい (美しい)関係ではないだろうし、たがいに独立しても、ときには独立していられるからこそ、よい関係もつくれたり維持できたりするだろう。
より基本的には
だとしても、生活保護と家族からと二重に受け取れるのはよくないという主張はあるだろう。世帯分離の原則はそれを禁じているのだが、見つからないように二重取りをする人は(あるいは実質的には別れて暮らさない人は)いるだろうというのだ。それがよくないとして、では人の出入りや金の出入りを監視して、そんなことがないようにするか。しかし、実際にはそういう名目で嫌がらせに近いというか、嫌がらせそのものというか、いくらでもあってきた。わかりやすすぎるのは、DV夫に稼ぎがあるんだから(まだ別れられない)妻はそれで暮らすべしと追い返されるといった場合だ。そしてそれはもちろん、たんに窓口の職員の問題ではなく、「上」の方針としてそうなっているのであり、それをメディアと「世論」が後押ししているのだ。生活保護を使える人たちのなかでこの制度を使えている人の割合は20%を下回っていると言われている。このことを嘆くべきなのである。
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