不登校新聞

397号 2014/11/1

知的障害の被告を多く弁護した人権派弁護士・副島洋明さん死去

2014年11月12日 14:34 by shiko
2014年11月12日 14:34 by shiko

弁護士・副島洋明さんが2014年11月9日、他界された。副島洋明さんは多くの知的障害者が裁判で被告になった事件を多く担当。担当した事件のなかには、池袋無差別通り魔事件(99年)、浅草レッサーパンダ事件(01年)、宇都宮知的障がい者えん罪事件(04年)、東金事件’(08年)などがある。副島さんの活動を忍んで05年当時のインタビューを再掲する。

ご冥福をお祈りいたします。編集部一同

――知的発達障害者刑事弁護センターを立ち上げた経緯は?
私はもう20年以上前から自閉症や知的障害の方の裁判で弁護活動をしてきました。彼らの多くは家族の支えもなく、教育や福祉からも斬り捨てられ、よく生きているなというような状況にある。だからせっかく裁判で執行猶予をとっても社会のなかに受け皿がないんですね。必死になって知り合いに頼み込んだりしてなんとか行き場を見つけてきました。それを私はずっと「この人たちは運が悪い」と思って片づけてきたところがあったんですね。

しかし5年ほど前、法務省の出している「矯正統計年報」(非売品)に刑務所における新規受刑者の知能指数(IQ)についての調査を見つけたんです。そうしたら、新規受刑者のうちの28%、3割近くがIQ=69以下なんです(判定不能含む)。つまり、人数にして毎年7000~8000人の知的・発達障害の疑いある人が刑務所に入って来ている。IQ=50以下の重度の人でみても1割近くいる。ところが療育手帳を持っている人は200人ちょっとしかいないんですね。

人とのコミュニケーションに困難のある人、そのために自分を守りきれない人たちが警察によって密室のなかで取り調べられ、「はい」「いいえ」だけで調書が作成され、それをもとに裁かれて刑務所に入れられている。

私も弁護に関わりながら、そういう人がたくさんいそうだとは思ってたけれども、この年報を見たときはショックを受けました。1年近くこれを発表していいものか悩みました。発表したら当事者はどう受けとめ、社会的にどう影響するか。偏見を助長してしまうのではないか。

それで知的発達障害者刑事弁護センターを立ち上げることにしたんです。自分自身がこの人たちを徹底して弁護する、支援すると肚を決めないと、この数字は発表できなかった。予期していた通り、このセンターを立ち上げてから親の会などから抗議がたくさん来ました。「自閉症を犯罪予備軍のように言うな」「偏見を助長するんじゃない」と。

しかし、これまで司法ではこういった障害は「変質」「異常」として裁かれてきたんです。私も5~6年前までは運が悪いと思い込もうとしてきた。だけどこれは障害者自身の資質の問題じゃない。社会構造の問題なんです。それを問わなければいけない。

最近になって発達障害がブームのように騒がれて、事件が起きるたびに「触法障害者」が問題にされ始めました。私は「触法障害者」という言い方は大きらいですが、少なくとも社会問題として論議されてくるようになったのはいいことだと思います。

発達障害者支援法もその意味において賛成なんです。もちろん問題はたくさんありますが、まずは社会から消されてしまっているこの人たちの存在を、しっかり社会の課題として位置づけることが必要です。

――社会構造の問題というと、具体的には?
たとえば宇都宮事件(※メモ参照)は典型的な冤罪事件で、54歳の男性(IQ=25以下の重度知的障害者)が強盗罪で起訴されたんです。彼は字も書けない、ひらがなも読めないのに、自分の犯行図面まで書かされている。彼は宇都宮病院から追い出されたあと行き場がなく、ヤクザ者に囲われて年金などを搾取されていた。生きるために物を拾って、自転車なんかの窃盗で年中捕まっていた。警察はそういう人と重々知りながら、未処理の強盗事件の犯人に仕立て上げた。

しかし問題の本質は警察の取り調べ以前にあります。このようなハンディをもつ人が家族から見放され、福祉や医療からも追い出されたとき、彼らは警察の対象にされてしまうんです。いわば層として、そういう人たちが警察に「社会の迷惑だ、何とかしろ」と取締りの対象とされる仕組みになっている。そういうなかで、警察は容疑者として調書をつくって検察にあげ、そして裁くという犯罪化のプロセスがある。

だから、この人たちの事件の本丸は切り捨てた福祉の責任を問うことにあります。

裁判官も検事も、そして弁護士も、問題の構造をわかっているのに「しょうがない」と犯罪化し、刑務所に行かせている。地域にこの人たちを支える受け皿がないからです。

――重大事件でも、発達障害が問題にされ始めていますね?
たしかにそういうケースはあります。しかし、それも背景をちゃんと見ないといけない。

たとえば「浅草レッサーパンダ事件(※メモ2参照)」では、加害者のYさんは「凶悪な通り魔殺人鬼」と言われた。たしかに、人通りの多い浅草で昼日中に女性を包丁で刺したというのは、一見理解しがたい重大な殺人事件とみえます。自白調書には「殺して自分のものにしたかった」と書かれていますが、しかし続けて「自分のものにしたかった」とは〈友だちになりたかった/いっしょに公園のベンチに座ってみたかった〉と話しています。彼は女性を殺すという意思はなかったんです。

彼の生育歴をみると、発達障害のゆえに徹底的にいじめられ傷つけられていた。しかも、ふつうだったらとうに自殺していておかしくない極貧の状況下で辛抱強く生きてきたんです。それでも、社会に恨みや怒りをもち、それを他人に向けることがない。それを「障害」と言うならばそうかもしれません。そういう不器用さ、孤立性を持っている。

じゃあ、何が彼を包丁を出すという「犯罪」に追い立てたのか? 異常で変態からなのか?

ちがうんです。彼らはそこで人に対してコミュニケーションをとろうとしていたんです。彼は女性と話をしてみたかった。女性と二人で歩いてみたかった。美しい詩をいっぱい書いた手紙を何度も同級生やいろんな女性に出してきています。それは相手の女性に恐怖心をもたらすわけだけど、それがわからない。どうしたら人は自分に振り向いてくれるか、どうしたら立ち止まってくれるかという思いなんです。

数年前の前科のなかに、彼がオモチャの鉄砲を示したら女性が立ち止まってくれたことがあった。鉄砲を向けられた女性はその異様な状況に震えあがったわけですが、彼にすれば、そういうふうにすれば女性が立ち止まってくれると理解した。その延長にあの事件がある。

だから、そこまで追いつめられる前にちょっとでも相談できる人がいたら、コミュニケーションに飢えていなかったら、あの事件はなかったと思います。

ほかのケースでも、放火したり、女性を追いかけたり、犯罪に至っているケースはたしかにある。表面的にはこだわりとかファンタジーだが、しかし彼らにすれば、そうでもしなければ誰も振り向いてくれなかったわけです。

彼らが怒りや憎しみで犯罪を起こすことはまずないと言いきれます。

――発達障害そのものは犯罪要因にはならないわけですか。
この人たちが犯罪に追い込まれる背景に障害が関係しています。しかし障害自体が犯行をつくりだすことはないんです。たしかに彼らは「非」社会的で人と積極的に関わる側面が弱いけれども、対人関係の攻撃性はなく、平和的です。

また、「関係を持てない人たち」でもありません。よく刑事裁判では「反省や内省ができない」などと言われます。私はそんなことないと思う。時間はかかるけれども、彼らに関わろうという意思があればかならず通じるものがある。

浅草事件のYさんにしても、最初はコミュニケーションをまったくとれませんでした。しかし何度も会ううちに、彼と私のあいだに関係ができていった。だんだん彼の言わんとすることを察する力がこっちにもできてきた。遠まわしに言ったり、仕草だったり……それを言葉の表面だけで捉えると理解できないし、誤解してしまうんです。

「人を殺してみたかった」などとセンセーショナルに報道されたりしますが、いうならば言葉をコミュニケーションの手段とすることが非常に苦手なんです。

専門家のなかには、彼らのことを正確に理解するためのスキルを上げればコミュニケーションできるという人がいます。しかし、私は現場でそういうものは信じられない。個別の関係性のなかで初めて「わかる」ことがあって、彼らの言葉の意味が見えてくる。生育歴をしっかり追って、目や顔の表情とか、感情の動きとか、意気投合したりとか、そういうことですよね。彼らの真意をどう言葉にし世間につながる言葉にするか、が弁護士の役割だったりする。

――どういう環境があれば、支えになると?
たとえば、この人たちが不登校したり、ひきこもることさえできれば、それだけで犯罪にまで追いつめられることはない。彼らは、どんなにいじめられ過酷な状況になっても、学校に行くんです。逃げること、避けること、自分を守ることができない。律儀で、打たれ強くて、あくまで「ねばならない」世界に生き続け、傷つけられている。しかも多くの人が、ひきこもることを支えてもらえる環境にない。

――親の理解も大事ですね?
親は本当に愛憎こもごもの苦しい体験をしています。それだけに、ややもすると味方になりきれなくなってしまうこともあります。とくに事件なんかになると「生みたくなかったんだ」「生んだことを後悔している」という親がいる。私はそれを許せない。理解するということは味方になるということです。たとえ殺人罪になったとしても「私は犯罪を犯したお前を守るよ」ということです。

理解というのは、この味方になるかどうかという問題だと私は思います。そういう意思を抜きにして、客観的・分析的にできるものじゃない。

――しかし、かつてと比べ、家族以外の人間関係が希薄なぶん、親もしんどいですよね?
そこは大きいですね。だから、私たちはもう一度社会を耕していかないといけない。一人ひとりが生きるうえで個別の関係性をつくっていくことが大事です。それは家族でもいいし、家族以外でもいい。それを「福祉」と私は言っているんです。福祉というのは行政だけのものじゃない。

生きにくさはみんな持っている。そのなかで生きることを支え合える関係がつくりだせるかどうか。

◎居場所があるというのは


私だってカミさんに支えられているし、自分と生きるパートナーがいるから、社会で孤立しても行動が歪まずにすんでいる。人はそういう関係がないとやっていけない。居場所があるというのはたんに空間的なものではないでしょう? 多少揉めてもぶつかっても向き合ってくれる人がいるから、初めて居場所ができる。

「発達障害者は関係が苦手なんだから、孤立を保障できる場があればいい」という人もいるけど、私はそうは思わない。彼らだって人を欲しているし求めている。かかわる人がいて、はじめて安心して独りでいることもできるんじゃないですか?

そういう関係を耕さないと、客観的に「支援」「教育」「カウンセリング」なんて言っても上滑りです。私が彼らと向き合っているのはそういうスキルの世界じゃない。

――障害への対応をハウツーで理解し対処するという流れがありますね?
それは一番危惧していることです。客観的な知識で理解しようとして、専門家の手に委ねることになるなら、そんな知識はいりません。専門性がなくても、多少ぶつかってもいいから、関わることが大事です。

彼らは、たしかに我々に見えないものを見たり、聞こえたり、感じたりして、過敏な面はある。だからといって壁の向こうにいるわけじゃないんです。

――最後に一言。
発達障害が増えていると言いますが、これは増えているというよりあぶり出されているんです。彼らは炭坑のカナリアのようなもので、いまの社会の歪みがいちばん弱いところに出ていると言える。

日本の社会は本当にきつくなった。まだイギリスやアメリカに比べたらましという人もいますが、彼らを見ていたら、「死ぬな」「生き抜け」という世界です。

いまの社会の貧困は生きるギリギリのところまで来ているという実感があります。たしかに物はあふれているけど、生きていくことを支える関係はズタズタです。

一昔前なら、ちょっと変なヤツ、おかしなヤツで許容されてなんとなくすんでいたことが、社会が貧しくなったことであぶり出されているんです。

そういう人を追いつめ、「犯罪」にいたらせておいて、それでなおかつ彼らの問題だとしているわけです。だから、言うならば、彼らは無罪です。

――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平、写真・信田風馬)

※宇都宮事件 昨年8月、重度の知的障害者Kさんが中学生に対する軽微な暴行容疑で宇都宮東警察署に逮捕された際、Kさんは、その取調べのなかで、未解決の連続強盗事件の犯行を自白したとして再逮捕され、起訴された。裁判でKさんは検察から懲役7年の求刑を受けたが、判決直前に奇跡的に真犯人が現れたため、今年3月の判決では連続強盗は無罪となった(暴行罪は罰金)。マスコミは〈誤認逮捕・起訴事件〉としているが、弁護団は、この宇都宮事件の背景にある〈福祉、ヤクザ、精神病院、そして警察の"ヤミの構図”〉の責任追及のために、いくつもの裁判を始めている。

※2 浅草レッサーパンダ事件  2001年4月、東京都台東区の路上で、短大生の女性(当時19歳)が札幌出身のY被告(当時29歳)に腹部などを包丁で刺されて失血死した。Y被告は犯行時、レッサーパンダの帽子に毛皮のコートという特異な服装で、10日後に逮捕された。

Y被告は小・中学校で普通学級に通ったあと高等養護学校に進学。知的障害があり、障害者手帳を受けていた。幼少期からいじめを受け、家庭環境にも恵まれず、卒業後は家出や犯罪をくり返すなどして上京した。弁護側は裁判でY被告が広汎性発達障害である可能性を指摘し、殺意を否認。また、責任能力や自白の任意性をめぐって検察側と争い、公判は結審まで2年10カ月を要した。

東京地裁判決(2004年11月)は、Y被告の殺意を認定、重大かつ悪質な通り魔殺人であるとして、無期懲役を言い渡した。広汎性発達障害については「該当するかはともかく自閉傾向がある」と認定した。今年4月、Y被告は控訴を取り下げ、判決は確定した。(※参考『精神医療』37号/批評社)
※2005年10月15日、11月1日、11月15日 Fonte掲載
 

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