不登校経験者は「不登校その後」をどう生きて来たのか。高校、大学、専門学校に通う人。アルバイトをしながら趣味でやりたいことを突き詰める人。正社員でバリバリ働いている人など、じつにさまざまだ。なかには現在も「不登校」で苦しんでいる人もいる。今回お話を聞いた田場寿子さん(25歳)もその一人。11歳で不登校して14年、当時をふり返りつつ、自身の不登校に対する思いを率直に語っていただいた。

――お話を聞く前に、田場さんが11歳のときに取材に応じてくれた際の『Fonte』の切り抜きを持ってきたんです。
 「マンガ好き! 400冊持ってます」という明るい見出しのわりに、目が笑ってないですね(笑)。それともう一つの「いまを生きる」という見出し。自分の考えは11歳のころから変わってないんだなって、あらためて思いますね。

――初取材の緊張もあったんではないでしょうか。掲載から14年経ちますが、ふりかえって思うことは?
  25歳になったいまでも「不登校からまだ抜け出せていない」というのが正直な実感です。義務教育期間が終わって10年経ちますが、父からはいまだに不登校を責められますし、私も自分の不登校体験談をよく話します。別に言わなくてもいい過去をあえて人前で晒すこと。そのこと自体、いまだに不登校を脱しきれていない"証し”なんじゃないかって。

いまでも思う"肯定されたい”

 なぜそんなことをするのかと言えば、心のどこかで「自分が肯定されること」をいまでも望んでいるからじゃないかって思います。不登校というのはそれぐらい私の土台に色濃く残っているテーマです。
 
 私が不登校をしたのは小学4年生のときでした。酔っ払った父からは「学校に行かないなら死ね」と、いつもなじられました。父は小学校教師でした。仕事柄なのか、学校に行かないということがまったく理解できなかったんだろうと思います。
 
 それ以来、安全な居場所であるはずの自宅は、私にとって生死をかけた戦場になりました。その経験から、不登校だった自分を肯定してくれる反応をいまだに期待してしまうんじゃないかって思います。でも一方で「不登校を肯定する意見」にずっと距離を感じていたのも事実です。

――ちょっと矛盾する話ですね。
 そうですね。不登校だったとき、「不登校でもいい」と言ってくれる場所にも行きましたし、私自身そう考えていました。「まちがっているのは義務教育システムのほうだ」って。だから、不登校を否定する父を私が否定する。そのやりとりの中で自分を肯定しようとしていたんじゃないかと思います。
 
 でも、実生活ではあいかわらず父からバッシングを受け続ける日々。私と同じように不登校を経験した人たちが語っていた「不登校でもいい」というのが、自分の現実と照らし合わせてもなかなか実感できなかったんです。たしかな実感としてあるのは、矛盾を抱えつつも、自分がポジティブな人生を送れていないということだけ。こうした葛藤もあって、また年齢が上がるにつれ、不登校の捉え方もしだいに変化していったように思います。

不登校に対する考えと現実、ずっと矛盾を感じてた

――変化で言えば、気持ちの部分ではどうでしたか?
 不登校して以来、「私は被害者だ」と思い込んでいました。でもある日、10年ぶりに会った知人に「あのときの寿子は、まわりの人をすごく憎んでいたよ」って言われたんです。「もしそうだとしたら、私は100%被害者だったのか」と考えるようになりました。たしかに思い当たる節もあるんです。
 
 小学生のとき、卒業アルバムの写真撮影で学校に行ったことがありました。すると、「楽なときだけ学校に来てんじゃねぇよ」と、ある男の子から野次を飛ばされたんです。カチンときた私は、校長室に担任とその子を呼んで、全員の前でリストカットしたばかりの腕を見せました。「不登校が楽だったら、こんなことしないだろう」って言いながら。11歳の言動にしてはえげつないですよね。
 
 その場にいた全員ビックリして私に謝ってくれました。でも、そうなるであろうということもわかったうえでやってたんです。「私はあのとき、みんなを傷つけたんじゃないか。だったら、私は被害者と同時に加害者でもあったよね」って。そう考えると自分の人生に納得できる部分もあるし、反省という概念もそこから生まれたような気がします。反省することなく、ひたすら落ち込むだけの負のループを生きてきた人生だったので。

父との関係もしだいに変化

――田場さんのお話を聞いていると、父親との関係が大きかったように感じるのですが。
 不登校に無理解な父の口癖は、学齢期がすぎると「学校に行け」から「働かざる者食うべからず」に変わりました。
 
 12歳のとき、たまりかねて家出をしたんです。それをきっかけに、父とは別居することになりました。父との物理的な距離は離れましたが、それでもときどき会うたびに不登校の話を蒸し返してきます。思うに、それしか話題がないんです。父のなかでは「小学生で不登校した私」で時間が止まっているんじゃないかって。父と私の関係は傍から見ればいびつなのだろうと思います。だとしても、それが自分の家族のかたちだと考えてきました。
 
 でも最近ではそれ自体、限界だなと感じることもあります。父も高齢ですし、私自身、「不登校はダメだ」と内心感じていることを無理やり肯定しようとしていることに苦しさを抱えているんじゃないかとも思うんです。
 
 母ともいろいろありました。「死にたい、死にたい」といつも言う私に、母は長年「死なないで」と言い続け、四方八方手を尽くしてきました。ところが先日、ふいに「死にたい」とこぼした私に対し「そんなに死にたいなら、しかたない」って言いました。不思議なことに、そう言われてやっと解放されたような気がしたんです。見捨てられたような感覚もなかった。
 
 もちろん、わが家の場合がそうだというだけで、ほかの家庭にも一般化できるという類の話ではないと思いますが。

過去の気持ち再利用しない

――「不登校その後」について、現在はどのように考えていますか?
 最初にお話した通り、私はまだ不登校から脱しきれていません。不登校こそが私のメインテーマであるし、問いそのものです。苦しさゆえに、そこから逃れようと全力で生きてきたけど、やっぱり逃れられない。この苦しみの原因はなんなのか、その落としどころもまだ見つかっていません。
 
 だから悩んで考える以外にないわけですが、その際に一つだけ気をつけていることがあります。「気持ちをリサイクルしない」ということ。過去のいやな気持ちを引っ張り出して、「昔はつらかったけど、いまは楽になったよ」と無理に納得しないように心がけています。そのほうが現実の自分とズレない気がするんです。
 
 先日、通院している精神科の主治医から「2週間先のことだけを考えて生きていきましょう」って言われました。「あ、自分はそんなに病んでいるのか」とビックリしました。ただ、「基準」ができたような気がして、ちょっとだけ気持ちが楽になりました。
 
 不登校をして以来、周囲から「将来どうするんだ」とずっと問われ続けていて、どうなるかもわからない"取らぬ狸の皮算用”で苦しんできました。少し先の未来を考えることも大事だけれど、そこにこだわりすぎないことがそれ以上に大事なんじゃないかって思うようになりました。
 
 25歳の私は、親が期待した未来も自分が思い描いていた未来も叶えられていないし、積み重なった小さな挫折から生じる劣等感もいまだ根強い。現在は親元を離れて一人暮らしをしていますが、目下の課題は「生きていく力をどう養うか」ということ。そのときにこだわりたいのは「今日を生きのびる」ということだと考えています。

――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣)