【1998年】
「全国不登校新聞社」を設立。
『不登校新聞』創刊号を発行。創刊記念集会を東京、名古屋、大阪で開催。
連載「不登校の歴史」「森の喫茶店」を開始。以降、現在まで続く。
参議院選挙で各政党に不登校政策アンケートを実施。以降、選挙ごとに実施。
秋の集いを東京で開催。(講師に俵萠子さん)
子ども編集部、創設。
【1999年】
初めての読者会を東京で開催。
創刊1周年記念集会を東京で開催。(講師に大田堯さん)
全国不登校新聞社、NPO法人に認証。NPO初の新聞社に。
ブックレット『不登校Q&A・親の気持ち子どもの気持ち』を刊行。
秋の集いを名古屋で開催する。(講師に渡辺位さん)
【2000年】
新年号で、初のフルカラー紙面を発行。
韓国の不登校、フリースクールの現状を取材。
2周年記念集会を山口県で開催。
大阪支局を大阪編集局に。
IDEC世界フリースクール大会が日本で開催。本紙では連日取材し、
号外速報を毎日発刊。
衆院選で各党に不登校政策アンケートを実施。
購読者限定のメーリングリストを開設。
秋の集いを長野県で開催。(講師に渡辺位さん)
【2001年】
町村信孝文部大臣(当時)が「不登校は自由のはきちがえ」と発言。
本紙主催で緊急集会を開催。
本紙が「つくる会」教科書の誤述問題を指摘、義務教育を中学生の義務と誤述。
有識者にアンケート実施。
創刊3周年記念集会を大阪で開催。(講師に羽仁未央さん、内田良子さん)
夏の全国合宿にて、本紙メーリングリスト参加者らで、オフ会を開催。
ペルー訪問・児童労働の現状を取材。
【2002年】
『この人が語る「不登校」』を出版。
大阪で出版記念集会を開催。(講師に山口由美子さん)
創刊100号を発行。東京で記念集会を開催。(講師に安住磨奈さんほか)
文科省「協力者会議」開始。会議の動向について問題点を報道。
「協力者会議」について、東京・大阪で緊急集会開催。
【2003年】
不登校削減「数値目標」について、各自治体に電話取材。
本紙5周年記念集会を開催。(講師に五味太郎さん)
市民「協力者会議」を開催。文科省「協力者会議」委員の伊藤美奈子氏も登壇。
各自治体に、「協力者会議」報告後の不登校政策について電話取材。
ブックレット『親にできることって』を刊行。石川県で秋の集いを開催。
大田区原級留置問題を報道。その後、都教委が本紙を読み、大田区に改善指導。
【2004年】
フセイン元大統領拘束翌日、子ども編集部が駐日イラク大使にインタビュー。
大阪府知事選で各候補にアンケートを実施。当選の太田房江知事は「不登校半
減」を掲げた。
『ハナのアフガンノート』上映会とシンポジウムを開催。
紙面リニューアル。媒体名を「Fonte」に変更。体裁もブランケット版6ページ立
てからタブロイド版8ページ立てに。都内でリニューアル記念集会も開催。
大阪で子ども編集部発足。
関西圏のフリースクール・親の会などと共同で、集会「いのちと生きること」
を開催。(講師に槌田劭さん)
【2005年】
大阪府が掲げた「3カ年で不登校半減政策」に対し、「大阪府の不登校対策を考
える市民連絡会」を立ち上げ。緊急アピールを発表。
名古屋で集会「ニートな若者のいま、みらい」を開催。
(登校拒否親の会なごやと共催、講師に高岡健さん)
「長田塾」裁判が始まり、経過を報道。
集会「子どもを"暴力”から守るために」を開催。長田塾裁判や家庭内暴力に
ついての講演とシンポジウムを企画。
【2006年】
教育基本法「改正」の動きに対し、本紙も反対をアピール。
編集部を大阪から東京に移転。編集長が山下耕平から石井志昂に交替。
創刊200号を発行。
秋の集い「強まる登校圧力」を東京で開催。(講師に内田良子さん)
長田塾裁判、暴力事実を認めるも、請求棄却。(名古屋地裁)
【2007年】
子ども編集部、東京編集局で再開。
教育再生会議(野依良治座長)が第一次報告をまとめる。本紙では逐次取材。
学校基本調査、不登校児童生徒数は12万6764人に。中学生の割合が過去最多。
長田塾裁判二審、原告勝訴。プライバシー侵害認め、一審の時効成立を認めず。
秋の集い「無条件で生きさせろ~不登校・ひきこもりから働くを考える~」を
東京にて開催。講師に雨宮処凛さんを招き、100名が参加。
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