ぜひ乗りこえたい 茂手木涼岳


 『Fonte』スタッフが休刊危機に何を思い、新聞づくりに関わっているのか、声を聞いてみたい――。読者より寄せられた意見を受け、東京編集局スタッフ3名による座談会を行なった。司会は本紙理事・小林繁雄。

 2年ほど前に東京シューレのボランティアを経て新聞社のスタッフになりました。このままでいけばあと一年で休刊ということですが、それでは寂しすぎる。なんとしてもこの危機を乗り越え、『Fonte』を残したいと思っています。

 『Fonte』のよさって4つあると思います。当事者の声を載せること、著名人のインタビューがあること、読者どうしのつながりがもてること、そして子ども若者編集部の存在です。

 当事者の声を大事にするのは『Fonte』が一番大事にしているところで、つらいことや悩みもあえてそのまま載せてきました。それは不登校やひきこもりを治すとか社会復帰させるということではなくて、私たちが当事者に寄り添い、いっしょに考えていきたいと思っているからです。当事者の声にもっと多くの人が耳を澄ましてほしいと思うし、そのための新聞でありたいと思っています。

 著名人のインタビューは、子ども若者編集部が今一番話を聞きたい人にインタビューを依頼しています。いま会いたい人、それはつまり「いま」という時代を体現してる人、「いま」の代弁者です。どの方も超一流だから、何年も忘れられない言葉に出会えることもある。そういう言葉を読者にも届けたいと思います。

 読者がつながりがもてることも重要です。子どもや若者は子ども若者編集部に、親は親でつながるメーリングリストがあります。それに親の方にはぜひ8面の親の会一覧を見てもらいたいです。あれだけの会が毎月活動しています。一人じゃないんだってことを伝えたいと思っています。

 子ども若者編集部という場の存在はとても大事だと思っています。いま一番会いたい人に企画書を書き、アポ取りの電話をし、会ってインタビューをする。僕自身も含め、それが子どもたちにとってどれほど学びになっていることか。ある人が「学びというのは未知との遭遇である」と言っていますが、その意味で言えばまさに学びそのものだと思います。学校でやる受験勉強ではない真の学びです。そういう場をなくしたくありません。

 『Fonte』のニーズはまだあると思っています。わが子が不登校になって、どうしたらいいかわからなくなっている親や当事者は多いと思うし、そこで『Fonte』が力になれることってまだまだあります。自分自身、すごくやりがいのある仕事だと思っているので、いまはこの仕事を一年でも長く続けたいですね。

まだまだ届けたい 小熊広宣


 「せめて高校ぐらいは出ておかないと」。私が学校に通う唯一無二の理由でした。中高一貫の私立校に進んだのちに一浪したんですが、当時は暗澹たる気持ちでいっぱいでした。「高校もちゃんと出たのに、なぜこんなに不安になるんだろう」「私にとって学校ってなんだったのだろう」。大学、大学院と進学した後、この問題を考えたくて全国不登校新聞社に入社しました。

 入社して丸5年。「自明を疑う」ということにこだわって仕事をしてきました。世の中で当たり前とされていることは多く、それら一つひとつを自分のフィルターに通してから考えるというスタンスにこだわっています。これには「せめて高校ぐらいは」という価値観で揺れた実体験も少なからず関係しているかなと。

 私の仕事は企画立案、取材、執筆、編集とさまざまです。やりがいも多いですが、しんどいことも多い。たとえば、いじめ自殺裁判の記事を書くときですね。

 いじめ自殺裁判の記事を書くときはまず訴状を読み込みます。いじめの内容などが詳細に書かれており、筆舌に尽くしがたい怒りに駆られることもしばしば。なぜ、この子がそこまで追い詰められなければならなかったのか。社会で当たり前とみなされる価値基準と現実との板挟みに苦しんだがゆえのことだったのではないかと思うんです。「Go to school or die」(学校に行くか死か)」という選択肢で苦しむ子どもと親に、「道は一本ではない」ということを伝えたいという気持ちが、私の土台にあるんです。

 一方、やりがいを感じるときは「読者からの声」が届いたとき。先日、「いま、諸事情で寄付してあげることができないの、ごめんなさいね」というお電話をいただきました。率直にうれしかったですね。極端な話、あえてせずともよい電話に時間を割いていただき、かつ私の拙文についても感想をいただけた。現場スタッフにとって、これほどの後押しはありません。

 昨今、出版業界はどこも厳しいですが、本紙を通じて築いてきたつながり、そこから生まれた経験と知恵は同じ問題で苦しむ子どもや親にとってこれ以上ない支えとなるはずです。『Fonte』を通じて、まだまだ届けたいと思っています。

日本一の不登校取材 石井志昂


 14歳から不登校を始め、教育機関にはいっさい関わらずに育ってきました。私にとっての学び場は、不登校新聞社の子ども若者編集部とフリースクール東京シューレでした。

 「新聞社で働きたい」と思ったのは19歳のときです。まわりには不登校を続けたくても、状況がそれを許さず、ちがう道を選ばずにはいられない友人が多くいました。

  義務教育を終えたあとの「不登校」というのは、ただのアイデンティティかもしれませんが、私にとっては「不登校」というアイデンティティが一番大切なものです。この筋を曲げない方法は……、と考えたとき「新聞社で働きたい」という結論に至りました。それと子ども若者編集部での取材も大きかったです。みうらじゅんさん、糸井重里さん、五味太郎さん……、この新聞の取材より、不登校のことを深く突っ込んでいる取材は、ほかにありません。当事者の「問い」にとことん立脚しようとしている新聞もほかにありません。

 運よく新聞社スタッフになったのが2001年。あれから11年間、きつかったことも、多大なご迷惑をおかけしたことも、山ほどありました。記事を書くことも最初はまったくダメでした。裁判記事を書くために、まわりから「日本には三権分立というのがあって」という説明を聞くところから始めていたぐらいですからね。最近はようやく新聞づくりができるようになったんですが、今回の休刊予告にはその責任を強く感じています。率直に言って悔しいかぎりです。この新聞を必要としている人はたくさんいると思っています。たしかに新聞社はギリギリの人員でまわっていますが、それでも「知ってもらう努力」を怠ってきたんではないか、と。

 今回の休刊予告を検討するにあたって、意外なことが一点ありました。それは「スタッフの声が聴きたい」という声です。私にとっては考えてもいない意見でしたが、「休刊回避に向けてスタッフには強い負担を強いることになり、生活待遇もよくないことだし、率直なスタッフの声が聴きたい」と。たしかに新聞社の給与は低いです。日本人の平均所得グラフを見るとスタッフ全員「生活困窮者」に位置づくそうです(笑)。

 でも、まったく不満には思っていません。負担も問題じゃありません。私にとっては「不登校・ひきこもりをどう生きるか」、ここに向き合って発信ができることが、一番、大切にしたい筋です。生活も負担も二の次で構いません。

 最後になりましたが、残された時間はあと1年です。座して休刊を待つ気はありません。最大限の努力をしていきますし、どうぞ変わらぬご支援をお願いいたします。