震災前の1月、それまで仏教の勉強を細々としていた私は「諸行無常を和語で言うと『なりゆきを生きる』」という玄侑宗久さん言葉に、まるで大河のなかで全身を包まれるような気持ちになりました。夢中で玄侑さんの本を求めました。人は幸せになっていい、幸せは人それぞれいろいろあっていいし、よし悪しではなくそのままでいい。そしてキレイでないものも愛おしい。読むほどにそう言われる気がして、迷いながらも決然と生きる主体性こそ自由なのだといま感じています。
実家は雑貨屋商店で私が小学校のときに創立100周年を迎えました。中学1年の夏、父から「自分は自分であって自分ではないと思いなさい」と言われました。兄弟姉妹のいない私には跡継ぎ以外の道はないぞという意味です。
高校生のころには「自分の子どもに同じ言葉は絶対言わないし言わせない」と思っていました。
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